2015年06月04日

Solar Impulse



太陽電池をスポンサーすることが出来るプロジェクトです!

エハン塾の最新ニュースに燃料ゼロで世界一周をするソーラー・インパルス飛行を注目しております。今日この飛行機は名古屋で待機中です。天候が変わればハワイへ飛びます。太陽エネルギーだけで!

  


Posted by エハン at 17:28地球を旅する

2007年03月04日

Stonehengeの作り方?

イギリスの最大、最古の遺跡であるストーンヘンジの作り方について
仮説だらけの世界がある。実際にその遺跡を訪ねると(僕のセミナーで中
に入れてもらったこともある)確かに観光客向けの説明は納得いかない。
ピタミッドもそうだね。何万人の奴隷を使って何十年とかね・・・

オッカムのかみそり法則にしたがって最もシンプルな説明が正しいという
風に理解すれば、このビデオの内容はひょっとしたら凄い「真実」を
暴露するものかも知れない。

それを見てなにより、一人の人間のパワーはとてつもないことだと言えるだろう。
是非みてください。英語の説明は別に分からなくても見れば分かる
この男はまったく普通のアメリカの建設業者で「無重力の
エネルギー」とか「神秘的な音」を使うとかはまったくなくて、ある原理を
使うだけだ。それがPIVOTと云う言葉に基く:

PIVOT=軸頭, 旋回軸, ピボット; 《臼などの》ほぞ; 中心点, 要点, かなめ

つまり一個の小さい石を正しく使えば何十トンの石を動かせるのだ。
一トンの石を一時間に100メータを移動させる実験からごらん下さい:

  


Posted by エハン at 10:49地球を旅する

2006年12月29日

???からのリポート

  


Posted by エハン at 10:40地球を旅する

2006年10月26日

2006年08月15日

宮古島の儀式と今日のお遍路

今日は宮古島と四国を意識して儀式をしましたので今まで12回以上、宮古で
行った儀式のイメージを見ましょう:



宮古島の洞窟内の儀式で、いらないエネルギーを火に捨てる・・



宮古島の中心である石庭の儀式で、地元の自然精霊にコンタクト、挨拶



太陽の儀式:日暮れ寸前の儀式で、雲の後ろから太陽が出た・・??



儀式の意識によって「現実」が変わる・・
今日の儀式の場は:

  


Posted by エハン at 12:23Comments(0)地球を旅する

2006年08月05日

バールベックの巨石文明



今のイスラエルは戦争で破壊している地域であるレバノンに古代文明の偉大な
遺跡があること、みなさんご存知ですか?
1973年に一人でレバノンの首都BeirutからシリアのDamascusに移動しました。
残念ながら21歳の自分は古代遺跡があると知らなかった!
しかしかなり素晴らしいものがあります。



1千トンから2千トンと推測された巨石があります。石を切る方法は何でしたか?

そしてその地球の最古の最高の遺跡はこの戦争でどうなるでしょうか。
強いて云えばこの戦争と超古代の文明に関係があるかどうかは今となって自問します。

その文明についてWikipediaで以下のように書いてあります:

「バールベックは、レバノンの東部、ベカー高原にある遺跡。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された物件でもある。
バールベックは、ベイルートの北東、約85km、ベカー高原の中央にある。

バールベックとは、フェニキアの神バールに由来しているといわれている。
ジュピター、ビーナス、バッカスをそれぞれ祭る3つの神殿から構成されている。
世界でも有数のローマ神殿跡である。」

しかしそれ以前にもうすでに「たてもの」があったはずです。下の写真を見れば明に
違う種類の石を使って、全然小さいものは全然大きな石の上に積んであります。
ペルーのインカ遺跡もそうでした。誰が見ても違う時代のものだとわかります。
しかしWikipediaは現在の考古学者の説明しかないのです:

「1世紀頃、ローマ帝国の手により最初の神殿が築かれたと考えられている。

2世紀から3世紀に入り、ジュピター神殿、バッカス神殿が建てられる。
中庭や柱廊などの造成もこのころ考えられている。

コンスタンティヌス帝が、キリスト教を正教と定めた後は、神殿の破壊が進んだ。
バールベックの神殿も、キリスト教の教会へと役割が変わったと考えられている。」

「考えられている」考えで物足りない仮説ですね。どうやってあんな巨石を上げたのかは
1世紀の文明レベルでは不可能です。



「主な史跡:ジュピター神殿

遺跡の大部分は損壊してしまっている。しかし神殿跡に残る6本大列柱は、
バールベック遺跡の象徴となっている。」



超古代の巨石文明の遺跡は後日の人間によって増築された「考え」
は如何でしょか?問題は考古学者の脳の「建築」です。
「だってそんな文明はなかった!」の思い見込みで進められません。

超古代文明の共通点の一つは「神々の争い」でした。
今、レバノンとイスラエル、イラクとイランでそれぞれの超古代にあった
凄い神々はどうも最後のケンカをやり出した気がしてしがたがない・・

しかし遅かれ早かれ最後の戦争が起こります。永遠に継続しないことは一つの
Good Newsだと確信しています。  


Posted by エハン at 11:18地球を旅する

2006年08月01日

アマゾンの古代文明:Part 1



人類学者兼考古学者、そしてシャーマンでもあるテオとルーベンとよく儀式をしました。

ペルーに僕の兄弟二人います。肉体の兄弟ではなく魂の兄弟です。テオさん
は以前はペルー大統領の顧問として、シャーマンの知恵をリーダに伝えたこともある。
ルーベンと同じように今世界各国でシャーマニズムについて教えるのです。

ルーベンTime誌に注目されたのは、ビジョンでジャングルでの失われた
古代の道を見て、調査隊を組んで実際にビジョンに現われた場所へ行ってみると、実際に発見!
二人とも半端じゃない知識と経験を豊富に持つ男たちです。

パイティティ (Paititi) 伝説をご存知ですか?この二人は僕に10年前ぐらいからアマゾン
にあった高度文明であるPaititiについて教えてくれたのです。後日の記事でまとめたので
是非読んでください。

なぜなら今から注目される場所になるからです。

パイティティというと、聞いたことがある人は、ゴールドラッシュのハンターたちによって作られた
伝説上の架空の都市と思ってしまいやすいですが、しかし実際に「謎の都市、パイティティ」を
探し求めてアマゾンのジャングルに命をかけて入って行った探検家たちは少ないのも事実
なのです。

パイティティとは、一般の人が信じているようなただの空想の産物なのでしょうか? 
それとも地球上に本当に実際に存在する「異次元への扉」なのでしょうか。
そしてその「異次元への扉」へは、その扉の向こうの高次元のエネルギーを受け入れらる
者だけが探しあてることができる実際に存在するポータルなのかも知れません。

現在、そのようなポータルが、地球のあちこちで、人類の記憶の蘇りと共に口をあけて、
私たちが通過するのを、あたかも待ちかねているようになってきました。そして今回お届けす
るパイティティの情報を信じるか、信じないかは、まずはこの神話をお読みになってから決め
てください。

 パイティティの伝説

ペルーアンデスの高い山中に修道院があるとずっと信じられてきた。
美しくて肥沃な谷間は、昔から気候も人間と自然調和している最適な場所に位置している。
地上の楽園、まさにシャングリ・ラなのである。今世紀の初頭に白色同胞団の一グループである
The Order of the Red Hand”の者たちによって長年の探検の結果、発見されたのである。

発見された場所には修道院があって、その図書室には古代のさまざまな文明について
書いてある記録文献が見つかった。エジプト、バビロニア、チベット、アトランティス、
そしてレムリアについての記録が発見された。この記録は、陰の力の陰謀によって我々
が与え続けられてきた「偽りの歴史」ではなく本当の地球の歴史が記されていた。

そしてこの貴重な記録は、修道士たちによって厳重に保管され続けてきたのである。
これから語ることは、ずっと古の時代に本当に起きたことだと、そこの修道士たちが告げる
ものである。 南アメリカ大陸の歴史とは、、東岸がアトランティスの支配下にあって、
西岸がレムリア人たちによって支配されていただけではない。それを裏付ける証拠は、
今のボリビアのティティカカ湖にあたる場所にティアワナコと呼ばれる古代都市が存在し
てたいたからである。現在、調査によると、約1万四千年も前に既に存在していたと解っている。

その証拠として、当時建設された巨大石の寺院跡が今も少し残っている。これが第三番目の
文明が存在していたことを明かしている。それを更に遡っていくと、その文明の中心は、
アマゾンのジャングルの心臓部にさしかかったのである。



古の文明は、地変による洪水で海の底に時代と共に沈んで行ったのだが、
しかしパイティティは沈まずに、時代と共にすっぽりとジャングルの茂みの中に永遠に
姿を隠してしまっただけだったのである。パイティティは、アトランティス文明やレムリア文明
より更に進んでいる文明が栄えていたと言われる。パイティティの建造物はほかの二つの
文明のよりずっと更に美しく、人々も地球上で最も美しい住民たちだったともいわれている。
あらゆる面であとの二つの文明の模範となっていたのであった。

“The Order of the Red Hand”の者たちが、勿論発見された文献の情報をもとに、
失われた文明都市を発見するために探検隊を既に送っている。彼らが確信しているのは、
パイティティの発見によって、人類はニューエイジの誕生の為に必要な科学的な知識を
与えられることになるという情報である。更には、海の底に二つの謎の文明が沈む前に、
科学者や僧侶たちによってあらゆる数限りない宝がパイティティに運び込まれたという。

パイティティと全く同じシナリオが、エジプトでも学者たちによって発表される日がもうすぐ来る。
スフィンクスの下から、人類を眠りから目覚めさせる為に、パイティティと全く一致する記録
文献が発見されるであろう。

地図上でパイティティは一体何処にある? 

1957年7月、探検隊はアンデス山中の修道院から、クスコの東に広がる壮大な
自然林の中にあるリオ・アルト・マドレ・デ・ディオスという所に送られた。
その旅は実に大変な旅となった。吸血コウモリ、ジャガー、バク、毒ヘビ、
巨大アリなどの土地の住民たちとまず顔合わせしなければ始まらない旅だったからだ。

しかし探検隊は、源流のリオ・シンキベニアまで遂に押進んでいくことができた。
強く危険な濁流が横切り、200キロにも及ぶジャングルと沼地帯の中を歩まなければなら
なかった。もちろんマチェーテを手にして深く茂っている足元をかき分けながら前進していった
のである。このあたりの原住民たち共通の伝説といえば、失われた偉大な石の都市について
の不思議な話であった。

ペルーアマゾンの入り口の町、プエルト・マルドナドの名前の元であるワン・アルヴェルツ・
マルドナドも、16世紀にパイティティへ探検隊を組んで出発しているのだが、というのがある。
それによるとその扉は表面が、「パイティティへの入り口である」という意味を示す象形文字で
覆われている巨大な崖ぷちが存在しているというのである。

1957年7月10日、修道院から派遣された探検隊は、この入り口を探し当てたのである。
彫られている象形文字は、アトランティスやレムリア時代の地球最古の言語で巻もののような
形式で示されている。象形文字は、崖の表面、幅30メートル、高さ28メートルあるという。
多くのグリフは、マヤとアステカのものに深く関連しているらしい。像も多く彫られている。
その彫像の中の一つに、大きな兜をかぶった人像が、西を示しているのがある。
それがどうやら今となっては、ジャングルに埋まっているパイティティを示す位置らしい。

この地域に住むマチュゲンガ族の伝説には、アトランティスとレムリアの崩壊の最終段階
となった災害についての詳しい情報がある。また彼らは「空の人たち」とヴィラコチャと呼ばれる
パイティティを治めていた白髭の人物についても伝説の中で多く語っている。失われた
パイティティの都の塔はインカたちも探しあてることはできなかったし、また金を発掘するのに
集まってきたスペインの征服者たちも探し当てることはできなかったと彼らはいう。

パイティティの伝説には、永遠に尽きることなく強烈な白光を放つクリスタルについてもまた
語っているものがある。その光とは、この地域で目撃されるUFOの後側から輝く白い光と
同じだともある研究家は言っている。原住民らは、昔神世の時代にここパイティティで、
「空の人たち」とヴィラコチャが互いに話し合った場所だと今日でも信じている。さて、
地球も大きな変容の時代を迎えた今、再びパイティティが復活して、そこで我々と「神々」
と語り合う日が再び地上に訪れるかも知れない。



Paititiの痕跡は今から注目されるだろうと思います。
TO BE CONTINUED...  


Posted by エハン at 11:25地球を旅する

2006年07月17日

仙台の不思議なホテル



やはり男性の体に比べると女性の方が絶対美しいですね・・



昨夜に仙台での第一番目の講演が無事に出来た後で懇親会
の皆さんと暖かい交流が出来ました。僕は酒を飲まないけれど
最近は全然と云っていいぐらいそのことが回りの方に迷惑にならないようです。
酒について確かによく聞かれます:「どうして止めたのですか?」

正直に答えます:「啓示でした。お祈りをしている最中に’お酒を止めろ!’
と言われたので仕方がないです。」

でも確かに40年飲んだことに対してやめるときに苦労しなかった。
啓示にプラスもマイナスもありますがそういうコンタクトはとても重要であって、
誰でも啓示を受けることが当然できます。しかし条件があります。
一人になって、真剣に多次元とコンタクトを強く「意図」することでしょう。

仙台は涼しい!他国に来たような感じで、今朝の気温は23度ぐらいです。
朝食が終わった後ですぐに街の探検!
先ず本屋・・僕の本があるかなあ?チェックするべき・・店員に聞く「エハン・デラヴィの
本は?」

「一冊あります。人間イエスを科学する
翻訳版ですが感謝します。しかし後の7冊の内の一冊もないと云うことでちょっと残念な気持ちでした。しょうがない!書いていることはやはり並じゃないですよね。アセンションとか2012年
とか人間の次元シフトとか。儲からない話ですね。

書店のとなりに不思議なホテルが目に入る!ヨーロッパ風のアートがあちこちにある。
素晴らしい作品がいっぱいありましたので写真を撮ろうと・・



天使の存在は如何でしょうか皆さん?信じますか?交信が出来ていますか?



街の探検が大好きです。昔からは知らない街を歩くことは絶対的な楽しみです。
何があるのか、どういうシンクロニシテイが起きるのか、どんな気づきがあるのか
は興味深いことです。

今日の講演テーマは「創造力」です。
そしてその講演の準備だけではなく今からある素晴らしい本の日本語訳の
紹介文を書くために原本をもって来ました。「光の家族」です。来月に
新しく出版されます。多次元意識についての名作です。
創造力についてのヒントはいっぱいで、これから読みます・・

  


Posted by エハン at 10:43地球を旅する

2006年06月27日

Khatmandu の映画出演



1971年は凄い旅の連続でした。
2月に一人で約2万円を持ってネパールの首都Khatmanduに向かって
イギリスからヒッチハイクしだした。国の順番を英語で書きますと:
Belgium
Germany
Austria
Italy
Yugoslavia
Greece
Turkey
Iran
Afghanistan
Pakistan
India
Nepal

でした・・

旅は6週間ぐらいで、到着するまでにひどい赤痢によって身体はぼろぼろで
やせており、そしてインドではとても気温は耐えるものではなかったのでネパール
へ行こうとい思ったのです。

つらい旅でした。赤痢は不親切です。
到着したらお金がない!
しごとをしないと・・・でもここはネパールと云う当時ものすごい貧しい国だった!
なんとかなる!僕のたびのスローガンでした。

到着した日にインドの一番の映画監督に会うことになった。
今のBollywoodを引き起こした一人です。名前はDev Anandです。
ヒッピの映画をつくろうとしていて本物のヒッピが必要と云うことで、
万歳!

その映画はインドで大ヒットをした「Hari Rama Hari Krishna]でした。
ご関心があればちょっとだけみますか?  


Posted by エハン at 08:29地球を旅する