2010年03月11日
エハン・デラヴィからのメッセージ
こんにちは。YOU are EARTHの篠崎です。
本日「3月10日」は、ネット配信番組「2012ルネッサンス」の更新日です。
その為、今回「地球巡礼者─アースピルグリム─」の連載はお休みさせて頂き、「2012ルネッサンス」に関する解説などをお伝えいたします。
まずは、エハンさんからのメッセージをお聞きください
エハンさんがブログの連載を辞められたことで、ショックを受けた方が大勢いたことと思います。
私も、そのうちのひとりでした。ですので、エハンさんに電話をし「何故、ブログを辞めたのか」その理由を尋ねました。
その答えは、この動画の中にあった「通り」です。
私たちには、確かにもう「時間がない」のでしょう。
最近私がよく感じるのは時間は絶対的ではなく、相対的だということです。2012年の動きを何となくでも感知している人は、その時間の流れが「異様に速くなっている」ことに気づいているでしょう。しかし、そんなことを露程も実感していない方であれば、「いつもと変わらない日常」でしかない──。
私は、それもまた「個人の自由」だと考えています。私たちが2012年や時代の変化を信じない人達に「信じろ」と強要するのは間違っているし、また同時に、信じてない人達が「そんなものを信じるのをやめろ」というのも間違えている。
こうした動きはすでに、「独立個人」として、「自らの行為と言動に責任を持つ時代が到来している証拠」なのではないかと、私はそのように考えています。
このようにエハンさんが研究されてきた集大成とも言える動画ですが、私は確かに「それほどの内容が詰っている」そう感じました(ただ、思考や考察が苦手な方には、難しく感じられるかもしれません。また、木を見て森を見られない場合の方も難しいかもしれませんが、ある意味「日本人が今後、国際的に生き残っていく為には、絶対に必要な意識改革のひとつ」なのではないだろうか──私は、そのように考えています。
vol1は無料配信となっています。が、個人的には「vol2」以降の方がお薦めです。内容のレベルや深度はvol2以降の方が素晴らしいと感じました。「難しい!」と感じる方もいるかもしれませんが、そういう方は是非、質問するなり調査するなり、理解を深めることをお薦め致します。「今」こそ、必要な情報だと──私はそう思うので。

今回更新されたVOL5のタイトル、および概要を、簡単に解説します。
◆3月10日配信紹介(vol5)◆
「最先端の電気的宇宙論と、古代人達が私たちに残したサイン」(前編)
宇宙だけじゃない、人間、脳、すべてに電気が影響している。
宇宙電気論提唱者が危惧した地球。
地球大激変。宇宙電気論に関する解説。
宇宙は真空ではない、その決定的証拠。
NASAが隠蔽した宇宙電気論。
これまでの宇宙科学論を覆す宇宙電気論。
何故宇宙電気論は、受け入れられにくいのか。
◆最先端の電気的宇宙論と、古代人が私たちに残したサイン」(後編)
◆意識の定義について(一部のみ要約)◆
意識とは「経験」であり、唯物的感覚とは違う。自分が意識しているレベルによって、感じる世界はまったく違う。
想像、妄想が「マイナスに働くこと」はとても多い。しかし、仮に「状況が違う」だけで、同じ現象でも「それを恐怖と捉えるか、よ、喜びと捉えるか」が変わる。しかし、通常の大学では「脳の働き」としか示さない。すなわち「電気的情報」と「ケミカル的な情報」がスパークすることで、私たちが五感で「脳によって作り上げられている」。
でも、脳の中に色はなければ、触覚もない。
意識は三次元に「拘束されていない」──空の世界に意識は充満している。
※感想※これを見ていて、私は去年体験した「非常に面白い実験」を思い出しました。
それは「宇宙気功」というもので、神経集中もしなければ座禅もしない、ただぼんやり立っているだけです。
にも関わらず、気功師の先生が「すっ」と腕を動かすだけで、私の体が勝手に動き出しました。最初は「気のせいだろう」そう思っていたのですが、しばらくしてから先生が「腕を動かさなくなった」にも関わらず、体が動き始めたのです。
先生は、私の前にリンゴを差し出しました。
「この味を、答えてみて」
私は即座に「甘酸っぱい」と答えました。(すみません。スーパーの安いリンゴしか買ったことがないので──)
ところが、今度は先生は「そうね。『甘酸っぱい』ね。じゃぁ、無意識で答えてごらん。五感のすべてをシャットアウトするんだ」。
すると、どうしたことでしょう。
味が、「まったく分からなかった」のです。
甘酸っぱい味も、思い出せない。からかったのか、甘かったのか、苦いのかも分かりません。
私は黙って、かぶりを振りました。
「分かりません。・・・・・・どんな味か、まったく想像出来ないのです」
その答えに、先生は笑って頷きました。
「その通り。無意識は、リンゴの味を知らない。リンゴの味を知っているのは、あなたの意識でしかないんだよ」と。
こんな単純な例でもわかるように、私たちは如何に意識に支配されているのか──よく分かりますね。
みなさんが誰かに怒りを感じた場合、それは「相手に原因があるのか」それとも、「本当は、自分が勝手に意識的に作り出した相手の像に向かって怒ってるだけなのか」考える価値はありそうですね(笑)。短気な私(苦笑)も、決して他人事ではありません。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【番組制作者さんからのメッセージ】
このネット配信の中で、エハンさんが17年間求め続けてきたものが凝縮されているのでしょう。良心的にも(笑)、1ヶ月更新が出来ます。まずはお試しで見てみることを、お薦めします。
また、今月末(3月31日)迄に「1年分視聴 10,000円(税込)[2,600円割引]」を申込みされますと、24回放送分(一回放送時間約30分X24回 = 720分 )という約12時間分の膨大かつ貴重な情報を手にすることが出来ます。
また、申し込まれた方、全員にエハン・デラヴィからの特別メッセージDVD(非売品)を直筆サイン入りでプレゼントさせて頂きます。(プレゼントの発送は4月中旬になります。)
お申込は↓からお入りください。
http://www.echan.jp/movie/index.php
エハン・デラヴィ最期のトークイベントも受付中です。
17年間の研究成果すべてを聞けるラストチャンスです。
本日「3月10日」は、ネット配信番組「2012ルネッサンス」の更新日です。
その為、今回「地球巡礼者─アースピルグリム─」の連載はお休みさせて頂き、「2012ルネッサンス」に関する解説などをお伝えいたします。
まずは、エハンさんからのメッセージをお聞きください
エハンさんがブログの連載を辞められたことで、ショックを受けた方が大勢いたことと思います。
私も、そのうちのひとりでした。ですので、エハンさんに電話をし「何故、ブログを辞めたのか」その理由を尋ねました。
その答えは、この動画の中にあった「通り」です。
私たちには、確かにもう「時間がない」のでしょう。
最近私がよく感じるのは時間は絶対的ではなく、相対的だということです。2012年の動きを何となくでも感知している人は、その時間の流れが「異様に速くなっている」ことに気づいているでしょう。しかし、そんなことを露程も実感していない方であれば、「いつもと変わらない日常」でしかない──。
私は、それもまた「個人の自由」だと考えています。私たちが2012年や時代の変化を信じない人達に「信じろ」と強要するのは間違っているし、また同時に、信じてない人達が「そんなものを信じるのをやめろ」というのも間違えている。
こうした動きはすでに、「独立個人」として、「自らの行為と言動に責任を持つ時代が到来している証拠」なのではないかと、私はそのように考えています。
このようにエハンさんが研究されてきた集大成とも言える動画ですが、私は確かに「それほどの内容が詰っている」そう感じました(ただ、思考や考察が苦手な方には、難しく感じられるかもしれません。また、木を見て森を見られない場合の方も難しいかもしれませんが、ある意味「日本人が今後、国際的に生き残っていく為には、絶対に必要な意識改革のひとつ」なのではないだろうか──私は、そのように考えています。
vol1は無料配信となっています。が、個人的には「vol2」以降の方がお薦めです。内容のレベルや深度はvol2以降の方が素晴らしいと感じました。「難しい!」と感じる方もいるかもしれませんが、そういう方は是非、質問するなり調査するなり、理解を深めることをお薦め致します。「今」こそ、必要な情報だと──私はそう思うので。

今回更新されたVOL5のタイトル、および概要を、簡単に解説します。
◆3月10日配信紹介(vol5)◆
「最先端の電気的宇宙論と、古代人達が私たちに残したサイン」(前編)
宇宙だけじゃない、人間、脳、すべてに電気が影響している。
宇宙電気論提唱者が危惧した地球。
地球大激変。宇宙電気論に関する解説。
宇宙は真空ではない、その決定的証拠。
NASAが隠蔽した宇宙電気論。
これまでの宇宙科学論を覆す宇宙電気論。
何故宇宙電気論は、受け入れられにくいのか。
◆最先端の電気的宇宙論と、古代人が私たちに残したサイン」(後編)
◆意識の定義について(一部のみ要約)◆
意識とは「経験」であり、唯物的感覚とは違う。自分が意識しているレベルによって、感じる世界はまったく違う。
想像、妄想が「マイナスに働くこと」はとても多い。しかし、仮に「状況が違う」だけで、同じ現象でも「それを恐怖と捉えるか、よ、喜びと捉えるか」が変わる。しかし、通常の大学では「脳の働き」としか示さない。すなわち「電気的情報」と「ケミカル的な情報」がスパークすることで、私たちが五感で「脳によって作り上げられている」。
でも、脳の中に色はなければ、触覚もない。
意識は三次元に「拘束されていない」──空の世界に意識は充満している。
※感想※これを見ていて、私は去年体験した「非常に面白い実験」を思い出しました。
それは「宇宙気功」というもので、神経集中もしなければ座禅もしない、ただぼんやり立っているだけです。
にも関わらず、気功師の先生が「すっ」と腕を動かすだけで、私の体が勝手に動き出しました。最初は「気のせいだろう」そう思っていたのですが、しばらくしてから先生が「腕を動かさなくなった」にも関わらず、体が動き始めたのです。
先生は、私の前にリンゴを差し出しました。
「この味を、答えてみて」
私は即座に「甘酸っぱい」と答えました。(すみません。スーパーの安いリンゴしか買ったことがないので──)
ところが、今度は先生は「そうね。『甘酸っぱい』ね。じゃぁ、無意識で答えてごらん。五感のすべてをシャットアウトするんだ」。
すると、どうしたことでしょう。
味が、「まったく分からなかった」のです。
甘酸っぱい味も、思い出せない。からかったのか、甘かったのか、苦いのかも分かりません。
私は黙って、かぶりを振りました。
「分かりません。・・・・・・どんな味か、まったく想像出来ないのです」
その答えに、先生は笑って頷きました。
「その通り。無意識は、リンゴの味を知らない。リンゴの味を知っているのは、あなたの意識でしかないんだよ」と。
こんな単純な例でもわかるように、私たちは如何に意識に支配されているのか──よく分かりますね。
みなさんが誰かに怒りを感じた場合、それは「相手に原因があるのか」それとも、「本当は、自分が勝手に意識的に作り出した相手の像に向かって怒ってるだけなのか」考える価値はありそうですね(笑)。短気な私(苦笑)も、決して他人事ではありません。
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【番組制作者さんからのメッセージ】
このネット配信の中で、エハンさんが17年間求め続けてきたものが凝縮されているのでしょう。良心的にも(笑)、1ヶ月更新が出来ます。まずはお試しで見てみることを、お薦めします。
また、今月末(3月31日)迄に「1年分視聴 10,000円(税込)[2,600円割引]」を申込みされますと、24回放送分(一回放送時間約30分X24回 = 720分 )という約12時間分の膨大かつ貴重な情報を手にすることが出来ます。
また、申し込まれた方、全員にエハン・デラヴィからの特別メッセージDVD(非売品)を直筆サイン入りでプレゼントさせて頂きます。(プレゼントの発送は4月中旬になります。)
お申込は↓からお入りください。
http://www.echan.jp/movie/index.php
エハン・デラヴィ最期のトークイベントも受付中です。
17年間の研究成果すべてを聞けるラストチャンスです。
Posted by エハン at
16:13
2010年03月10日
2010年03月08日
地球巡礼者─アースピルグリム─(2)人間の欲望──聖なる執着
こんにちは、YOU are EARTHの篠崎です。前回に引き続き、「地球巡礼者─アースピルグリム─」の解説を致します。
「巡礼」という名を出せば、大抵引き合いに出されるのは「エルサレム」でしょう。
私は子供時代からイエス・キリストを尊敬していたので(注※実家は浄土宗なので、まったく無縁ですが)、いつかは必ず行ってみたい──そう思える場所でした。
しかし、今やその面影は人々の小競り合いによって、打ち消されてしまった──映画「アースピルグリム」の中に出てきた聖職者達の争いを見て、溜息を吐きたくなったのは私だけではないはずです。
何故、あのように聖地が奪い合われるようになったのか──そもそも「キリスト教」「ユダヤ教」「イスラム教」の違いが分からない方もいらっしゃるのではないかと存じます。
最初にあったのは「ユダヤ教」です。旧約聖書を中心に教えを説くのがユダヤ教であり、その教えは「ノアの方舟」や「バベルの塔」「モーセの十戒」など、どことなく戒めを感じさせるものも多く、今で言う「慈愛」とはほど遠い印象も受けます。
その後に誕生したのは「キリスト教」。しかし、イエス・キリストは最初からユダヤ教を批判していたわけではなく、教義主義に陥っているファリサイ派(パリサイ派という記載もあり)の人々の姿勢を批判していたに過ぎません。イエスが求めたのは「純粋な神への信仰」であり、それは供物や寄付などとといった物質に頼るものではなかったからです。何故そう言えるのか──それは、イエス自身が「自らの身を十字架に捧げた」ことが象徴しています。
そして、西暦に入ってから500年前後に誕生したのが「イスラム教」です(もっとも、イスラム教の巡礼はメッカ((現在のサウジアラビア))も主流ですが)。
これは、当時商人だったムハンマドが瞑想中、ガブリエル(アラビア語読みはジブリール)から啓示を受け、そこから派生しました。ムハンマドは当初自分が発狂したのではないかと苦悩しましたが(ムハンマドはとても堅実で、まじめな人柄だったそうです)、彼の口から語られる言葉の多くが人々の感動を呼び起こし、まずは家族が彼の言葉を受け入れ、そのうちに周囲へと波及し、イスラム教へと発展していったそうです。
ですので、言ってしまえばこの三つの宗教は「兄弟」のような関係性でもあるのです。それが何故か、今のような事態となってしまった──。
ユダヤ教にしろ、キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、「最初は本当に、純粋な神の言葉だったのだろう」私はそのように感じています。
しかし、何故今のような現状を引き起こしたかと言えば──それはひとえに「聖なる執着」。
「アースピルグリム」で語られていた通り、「エルサレムが最も聖地であるという執着が生み出したが故の結末」だと、私には思えるのです。
私は、映画の中にあったメッセージに、強く心を揺さぶられました。
人間同士の戦争や対立が、神の御名に対する見解の違いから起こっている。
なんと愚かなことだろう。
争いを望む者はおらず、全員が友好の長いテーブルへの着席を待っているというのに……。
称えるのはひとつ。
賛美すべきはただひとつ。
巨大な鉢の中へ水差しの水を注ぐように、
すべての宗教と神に捧げる歌はひとつの歌。
違いはただの幻に過ぎないのだ。
太陽の光は反射する壁によって……まったく違って見えることもある。
それでも、同じ光なのだ。
私たちは太陽の光から衣服と、時空の中にある個性を借りているにすぎない。
神を超える時光を、反射しているのだ。
この言葉は、「ひとつの神」という存在に背を向け争い続ける愚かな人類を端的に述べている──そう私は思います。
親にとって、愛すべき子に差別などない。
どの子供だって、みな等しく愛すべき存在なのに、かたや子供同士は「やれ自分の方が愛されている」「やれ、お前の信じている親は本当の親じゃない」──そんなことを言って争っているのと大差はないのですから。
しかし、だからといって「どの子供の言っていることが正しい」なんていうことでもありません。言ってしまえば、「誰もが正しく、誰もが間違っているのかもしれない」。それはひとえに「視点の角度」が違うだけの話でしかないのだろうと、私にはそう思えるのです。
ある人はそのものを見て「これは円だ」と主張し、ある人は「違う! これは三角形だ」と主張したとしましょう。
でも、真実の姿は「円錐」であったとしたら──どうでしょうか?
下から見上げればそれは円にしか見えず、横から見れば「三角形」に見える。
どちらの言っていることも「正しくて」、ある一方では「間違っている」。
今起きている宗教観の争いも、実はそんな単純なものなのかもしれません。
インドの「バガヴァッド・ギータ」に、このような言葉が書かれていると、サティシュ・クマールが紹介しています。
「すべては、自分のものではない。それぞれが自らに属し、宇宙は宇宙に属している。
自分は宇宙の一部に過ぎない。すべての苦しみや悩みは「執着心」から生まれます。」
私の子供。
私のお金。
私の家。
私の夫。私の家族。
私のもの。
所有という概念が「如何に争いを呼び起こすのか」が、端的に示されています。
所有が、本当の平和を生み出すことはあり得ません。
それに神は、「所有して欲しい」などと願うものでしょうか?
愛する子にものを授け、「お前だけが特別に使いなさい」なんて言うでしょうか?
その真実に気づけるまで、まだまだ人類は試行錯誤を続けなければならないとしたら──何とも愚かな話ですね。
巡礼が産んだ──望ましくない結果。
あまりにも哀しすぎる顛末です。
サティシュ・クマールが、この章をこのような言葉で締めくくっています。
「第二のアイデンティティは切り捨てましょう。
日本、アメリカ、イギリス、インド、中国などの国籍ではなく、
『人間というアイデンティティ』を、大切にしましょう。」
果たして私たちは、「人間としてのアイデンティティ」を大切にして生きて来れたのでしょうか?
決して「そうではない」ということは、もう皆さんが歴史の中で学んで来たことだと思います。
そして、今もそれはすでに進行中です。
では、ここから先私たち人類の前に立ちはだかるものは何なのか──これは次回、ご紹介します。
DVD「地球巡礼者」絶賛発売中。(すでにお持ちの方は、これからの解説も踏まえて視聴して頂けましたら幸甚です。)

エハン・デラヴィ最期のトークイベントも受付中です。
17年間の研究成果すべてを聞けるラストチャンスです。
「巡礼」という名を出せば、大抵引き合いに出されるのは「エルサレム」でしょう。
私は子供時代からイエス・キリストを尊敬していたので(注※実家は浄土宗なので、まったく無縁ですが)、いつかは必ず行ってみたい──そう思える場所でした。
しかし、今やその面影は人々の小競り合いによって、打ち消されてしまった──映画「アースピルグリム」の中に出てきた聖職者達の争いを見て、溜息を吐きたくなったのは私だけではないはずです。
何故、あのように聖地が奪い合われるようになったのか──そもそも「キリスト教」「ユダヤ教」「イスラム教」の違いが分からない方もいらっしゃるのではないかと存じます。
最初にあったのは「ユダヤ教」です。旧約聖書を中心に教えを説くのがユダヤ教であり、その教えは「ノアの方舟」や「バベルの塔」「モーセの十戒」など、どことなく戒めを感じさせるものも多く、今で言う「慈愛」とはほど遠い印象も受けます。
その後に誕生したのは「キリスト教」。しかし、イエス・キリストは最初からユダヤ教を批判していたわけではなく、教義主義に陥っているファリサイ派(パリサイ派という記載もあり)の人々の姿勢を批判していたに過ぎません。イエスが求めたのは「純粋な神への信仰」であり、それは供物や寄付などとといった物質に頼るものではなかったからです。何故そう言えるのか──それは、イエス自身が「自らの身を十字架に捧げた」ことが象徴しています。
そして、西暦に入ってから500年前後に誕生したのが「イスラム教」です(もっとも、イスラム教の巡礼はメッカ((現在のサウジアラビア))も主流ですが)。
これは、当時商人だったムハンマドが瞑想中、ガブリエル(アラビア語読みはジブリール)から啓示を受け、そこから派生しました。ムハンマドは当初自分が発狂したのではないかと苦悩しましたが(ムハンマドはとても堅実で、まじめな人柄だったそうです)、彼の口から語られる言葉の多くが人々の感動を呼び起こし、まずは家族が彼の言葉を受け入れ、そのうちに周囲へと波及し、イスラム教へと発展していったそうです。
ですので、言ってしまえばこの三つの宗教は「兄弟」のような関係性でもあるのです。それが何故か、今のような事態となってしまった──。
ユダヤ教にしろ、キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、「最初は本当に、純粋な神の言葉だったのだろう」私はそのように感じています。
しかし、何故今のような現状を引き起こしたかと言えば──それはひとえに「聖なる執着」。
「アースピルグリム」で語られていた通り、「エルサレムが最も聖地であるという執着が生み出したが故の結末」だと、私には思えるのです。
私は、映画の中にあったメッセージに、強く心を揺さぶられました。
人間同士の戦争や対立が、神の御名に対する見解の違いから起こっている。
なんと愚かなことだろう。
争いを望む者はおらず、全員が友好の長いテーブルへの着席を待っているというのに……。
称えるのはひとつ。
賛美すべきはただひとつ。
巨大な鉢の中へ水差しの水を注ぐように、
すべての宗教と神に捧げる歌はひとつの歌。
違いはただの幻に過ぎないのだ。
太陽の光は反射する壁によって……まったく違って見えることもある。
それでも、同じ光なのだ。
私たちは太陽の光から衣服と、時空の中にある個性を借りているにすぎない。
神を超える時光を、反射しているのだ。
この言葉は、「ひとつの神」という存在に背を向け争い続ける愚かな人類を端的に述べている──そう私は思います。
親にとって、愛すべき子に差別などない。
どの子供だって、みな等しく愛すべき存在なのに、かたや子供同士は「やれ自分の方が愛されている」「やれ、お前の信じている親は本当の親じゃない」──そんなことを言って争っているのと大差はないのですから。
しかし、だからといって「どの子供の言っていることが正しい」なんていうことでもありません。言ってしまえば、「誰もが正しく、誰もが間違っているのかもしれない」。それはひとえに「視点の角度」が違うだけの話でしかないのだろうと、私にはそう思えるのです。
ある人はそのものを見て「これは円だ」と主張し、ある人は「違う! これは三角形だ」と主張したとしましょう。
でも、真実の姿は「円錐」であったとしたら──どうでしょうか?
下から見上げればそれは円にしか見えず、横から見れば「三角形」に見える。
どちらの言っていることも「正しくて」、ある一方では「間違っている」。
今起きている宗教観の争いも、実はそんな単純なものなのかもしれません。
インドの「バガヴァッド・ギータ」に、このような言葉が書かれていると、サティシュ・クマールが紹介しています。
「すべては、自分のものではない。それぞれが自らに属し、宇宙は宇宙に属している。
自分は宇宙の一部に過ぎない。すべての苦しみや悩みは「執着心」から生まれます。」
私の子供。
私のお金。
私の家。
私の夫。私の家族。
私のもの。
所有という概念が「如何に争いを呼び起こすのか」が、端的に示されています。
所有が、本当の平和を生み出すことはあり得ません。
それに神は、「所有して欲しい」などと願うものでしょうか?
愛する子にものを授け、「お前だけが特別に使いなさい」なんて言うでしょうか?
その真実に気づけるまで、まだまだ人類は試行錯誤を続けなければならないとしたら──何とも愚かな話ですね。
巡礼が産んだ──望ましくない結果。
あまりにも哀しすぎる顛末です。
サティシュ・クマールが、この章をこのような言葉で締めくくっています。
「第二のアイデンティティは切り捨てましょう。
日本、アメリカ、イギリス、インド、中国などの国籍ではなく、
『人間というアイデンティティ』を、大切にしましょう。」
果たして私たちは、「人間としてのアイデンティティ」を大切にして生きて来れたのでしょうか?
決して「そうではない」ということは、もう皆さんが歴史の中で学んで来たことだと思います。
そして、今もそれはすでに進行中です。
では、ここから先私たち人類の前に立ちはだかるものは何なのか──これは次回、ご紹介します。
DVD「地球巡礼者」絶賛発売中。(すでにお持ちの方は、これからの解説も踏まえて視聴して頂けましたら幸甚です。)

エハン・デラヴィ最期のトークイベントも受付中です。
17年間の研究成果すべてを聞けるラストチャンスです。
2010年03月06日
地球巡礼者─アースピルグリム─(1) 公案について
こんにちは、YOU are EARTHの篠崎です。
先日、これから「エハンさんの著作に関する解説をご紹介する」旨お知らせしましたが、第一回目のシリーズは「地球巡礼者─アースピルグリム─」をいくつかのカテゴリーに分けてご紹介します。
私がこの作品を拝見した際、正直に受けた感想は「この作品の本当の意味や良さを、果たして日本人のどれだけ多くの人が理解出来るのだろうか」という疑問でした。
それは決して、日本人を卑下してのことではありません。
日本の国土の条件、民族性、歩んできた歴史、あらゆるものをトータルし踏まえた上での感想だったのです。
巡礼者という言葉は、どうしたところで定住者の人に理解しがたい言葉です。
映画作品に出てきた空海にしろ芭蕉にしろ、彼らは多くの土地を歩み、その中でさまざまな体験を経て研鑽を積み上げた人達です。そうした体験がなければ、すぐさま巡礼という言葉に馴染めない──そう考える人も多いのではないでしょうか?(勿論、ここで言われている巡礼というのは「定住云々」という表層的な意味ではないのですが、それは後日、違う記事で解説します。)
日本は「島国」です。勿論イギリスだって島国ではありますが、バイキングという「海の移住者達」を背景にもった国と「最初から土着していた国の特性」とはやはりどうしたところで差があります。
また、黄色人種の特色や白人の特色による「歴史的な差違」が日本の独特な風習を生み出した可能性もあるでしょう。
日本は「島国」であり、かつ「江戸時代まで鎖国していた」という様々な要素、および第二次世界大戦を経て「アメリカの文化を人真似のごとく取り入れるしかなかった」という条件も踏まえた中で、どうしたところで「地球巡礼者」という映画の意味を理解しづらい民族性なのではないか──そのように私は感じたのです。
また、エルサレムを中心とした宗教紛争に関しても、日本人は「他人事」のように思ってしまう人が多いかもしれません。
それは、決して日本人が「冷たい」と言っているわけではありません。学校教育の中で「宗教や哲学、思想」というものをしっかり教えてこなかったことが原因の一端だと私は感じています。私は哲学科出身故、倫理や思想史を中心に学んできましたが、それだって「ごくごくさわりの部分だけ」です。世界史における倫理や思想史における割合は本当にごく僅かで、順当に学校教育を経た人であればイスラムの宗教史、キリストの宗教史を知っている方がごく僅かであっても「無理はない」──そのように思えるのです。
日本の学校教育は「高い偏差値」を取る為だけにあって、本当のこころの教育をする為のものではなかった──そうした弊害が、様々な形で、今日本に押し寄せているのかもしれません。
その為、この映画作品は日本人にとって「理解しがたいもの」になってしまう面も否定は出来ない──そう私は思いました。
でも、本来この映画で語られているのは「遙かに深淵で壮大なテーマ」なのです。
この作品の中には「今、日本人に必要な答えが『描かれている』」私はそう感じました。
いえ、それは日本に限ったことではなく、世界中のすべての人に言えることなのかもしれません。
私たちは既存システムにおける限界のすれすれに立たされているにも関わらず、それでもなお、「従来のやり方」でそれを無理矢理型にはめようとしています。
それでは「何も解決しないのだ」ということを、「地球巡礼者─アースピルグリム─」では語っています。
私たちがこの追い詰められた状態の中で「何を、どうすればいいのか」──その答えは「公案にある」、この映画ではそう語られています。
公案というのは「禅公案」のことです。
馴染みのない方の為に簡単に説明しますと、日本における禅には道元の開いた「曹洞宗」と白隠の「臨済宗」(実際日本に持ち込んだのは栄西ですが、江戸時代に再度臨済禅を白陰が立て直してからの方が有名になった関係で白隠禅とも呼ばれています)の二者があります。
禅公案を元に行うのは後者の「臨済宗」です。曹洞宗では「何も言わず、ただ座る(黙照禅)」ことを目的にし、対して臨済宗では「看話禅」といって、公案を掘り下げることを目的としています。
もっとも、そんな呼び名は「どうでもいい」ことであって、曹洞宗にしろ臨済宗にしろ「目先だけの現実を超え、その向こう側に答えを求める」という姿勢は共通している──私はそのように感じています。
要するに、「目先だけの損得、利潤、合理的な考え方では、『もう何も解決しないところまで来ているんだ』」ということを、私たちはまず何よりも自覚すべきなのではないでしょうか。
社会が行き詰まっているのも、国が行き詰まっているのも、誰が悪いわけでもなく──「私達、個々人にだって責任があるのだ」と、私はそう思えるのです。
なら「どうすればいいのか」?
それは、「私たちひとりひとりが導き出すべきもの」であり、誰かに教わったりすがって導いてもらうものではないのでしょう。
それこそが「独立個人の本当の意味」であり、私たちが向かおうとする時代にとって最低必要条件なのかもしれません。
余談ですが。
「思考を突き詰めれば、やがて認識の壁にぶち当たってしまう。そして、その壁を越えられた時にこそ、私たちは自分達を束縛していた殻をつきやぶることが出来るのかも知れない」──多少言葉を変えていますが、人智学(アントロポゾフィー)で有名なルドルフ・シュタイナーも同じように言っています。
彼が禅を体験していたかどうか定かではありませんが、「認識できる現象を超えたところにこそ、答えがある」ということを、同じように彼も知っていたのかもしれません。
DVD「地球巡礼者」絶賛発売中。(すでにお持ちの方は、これからの解説も踏まえてさらに視聴して頂けましたら幸甚です。)

エハン・デラヴィ最期のトークイベントも受付中です。
17年間の研究成果すべてを聞けるラストチャンスです。
先日、これから「エハンさんの著作に関する解説をご紹介する」旨お知らせしましたが、第一回目のシリーズは「地球巡礼者─アースピルグリム─」をいくつかのカテゴリーに分けてご紹介します。
私がこの作品を拝見した際、正直に受けた感想は「この作品の本当の意味や良さを、果たして日本人のどれだけ多くの人が理解出来るのだろうか」という疑問でした。
それは決して、日本人を卑下してのことではありません。
日本の国土の条件、民族性、歩んできた歴史、あらゆるものをトータルし踏まえた上での感想だったのです。
巡礼者という言葉は、どうしたところで定住者の人に理解しがたい言葉です。
映画作品に出てきた空海にしろ芭蕉にしろ、彼らは多くの土地を歩み、その中でさまざまな体験を経て研鑽を積み上げた人達です。そうした体験がなければ、すぐさま巡礼という言葉に馴染めない──そう考える人も多いのではないでしょうか?(勿論、ここで言われている巡礼というのは「定住云々」という表層的な意味ではないのですが、それは後日、違う記事で解説します。)
日本は「島国」です。勿論イギリスだって島国ではありますが、バイキングという「海の移住者達」を背景にもった国と「最初から土着していた国の特性」とはやはりどうしたところで差があります。
また、黄色人種の特色や白人の特色による「歴史的な差違」が日本の独特な風習を生み出した可能性もあるでしょう。
日本は「島国」であり、かつ「江戸時代まで鎖国していた」という様々な要素、および第二次世界大戦を経て「アメリカの文化を人真似のごとく取り入れるしかなかった」という条件も踏まえた中で、どうしたところで「地球巡礼者」という映画の意味を理解しづらい民族性なのではないか──そのように私は感じたのです。
また、エルサレムを中心とした宗教紛争に関しても、日本人は「他人事」のように思ってしまう人が多いかもしれません。
それは、決して日本人が「冷たい」と言っているわけではありません。学校教育の中で「宗教や哲学、思想」というものをしっかり教えてこなかったことが原因の一端だと私は感じています。私は哲学科出身故、倫理や思想史を中心に学んできましたが、それだって「ごくごくさわりの部分だけ」です。世界史における倫理や思想史における割合は本当にごく僅かで、順当に学校教育を経た人であればイスラムの宗教史、キリストの宗教史を知っている方がごく僅かであっても「無理はない」──そのように思えるのです。
日本の学校教育は「高い偏差値」を取る為だけにあって、本当のこころの教育をする為のものではなかった──そうした弊害が、様々な形で、今日本に押し寄せているのかもしれません。
その為、この映画作品は日本人にとって「理解しがたいもの」になってしまう面も否定は出来ない──そう私は思いました。
でも、本来この映画で語られているのは「遙かに深淵で壮大なテーマ」なのです。
この作品の中には「今、日本人に必要な答えが『描かれている』」私はそう感じました。
いえ、それは日本に限ったことではなく、世界中のすべての人に言えることなのかもしれません。
私たちは既存システムにおける限界のすれすれに立たされているにも関わらず、それでもなお、「従来のやり方」でそれを無理矢理型にはめようとしています。
それでは「何も解決しないのだ」ということを、「地球巡礼者─アースピルグリム─」では語っています。
私たちがこの追い詰められた状態の中で「何を、どうすればいいのか」──その答えは「公案にある」、この映画ではそう語られています。
公案というのは「禅公案」のことです。
馴染みのない方の為に簡単に説明しますと、日本における禅には道元の開いた「曹洞宗」と白隠の「臨済宗」(実際日本に持ち込んだのは栄西ですが、江戸時代に再度臨済禅を白陰が立て直してからの方が有名になった関係で白隠禅とも呼ばれています)の二者があります。
禅公案を元に行うのは後者の「臨済宗」です。曹洞宗では「何も言わず、ただ座る(黙照禅)」ことを目的にし、対して臨済宗では「看話禅」といって、公案を掘り下げることを目的としています。
もっとも、そんな呼び名は「どうでもいい」ことであって、曹洞宗にしろ臨済宗にしろ「目先だけの現実を超え、その向こう側に答えを求める」という姿勢は共通している──私はそのように感じています。
要するに、「目先だけの損得、利潤、合理的な考え方では、『もう何も解決しないところまで来ているんだ』」ということを、私たちはまず何よりも自覚すべきなのではないでしょうか。
社会が行き詰まっているのも、国が行き詰まっているのも、誰が悪いわけでもなく──「私達、個々人にだって責任があるのだ」と、私はそう思えるのです。
なら「どうすればいいのか」?
それは、「私たちひとりひとりが導き出すべきもの」であり、誰かに教わったりすがって導いてもらうものではないのでしょう。
それこそが「独立個人の本当の意味」であり、私たちが向かおうとする時代にとって最低必要条件なのかもしれません。
余談ですが。
「思考を突き詰めれば、やがて認識の壁にぶち当たってしまう。そして、その壁を越えられた時にこそ、私たちは自分達を束縛していた殻をつきやぶることが出来るのかも知れない」──多少言葉を変えていますが、人智学(アントロポゾフィー)で有名なルドルフ・シュタイナーも同じように言っています。
彼が禅を体験していたかどうか定かではありませんが、「認識できる現象を超えたところにこそ、答えがある」ということを、同じように彼も知っていたのかもしれません。
DVD「地球巡礼者」絶賛発売中。(すでにお持ちの方は、これからの解説も踏まえてさらに視聴して頂けましたら幸甚です。)

エハン・デラヴィ最期のトークイベントも受付中です。
17年間の研究成果すべてを聞けるラストチャンスです。
2010年03月05日
Echan in UK!

エハン・デラヴィと
イギリス南西端コーンウォールの
リトリートをぜひご一緒に!
A retreat with Echan Deravy
Presented by Earth Pilgrims Inc.
ケルトのハートセンターといわれているコーンウォール
ゆっくりと真からくつろげる環境で、エハン・デラヴィと一緒にリトリート三昧しましょう!
リトリートの日程: 2010年4月10日(土)~15日(木)(5泊6日)
意識分野の研究家として学び、実際に経験してきた17年間にわたるリサーチの究極メッセージの数々をエハンが参加者のみなさんに直接明かす時期を設けました。また今日でも古代のケルティックエネルギーが満ちている海岸線に沿って散歩したり、周辺地域には世界的にも有名な進歩したエコロジーロケーションがあるので訪問したりします。美しいイギリスの田園風景が広がる環境で少しの間シフトフォーカスして、ぜひ一緒にくつろぎ、楽しんでください!
参加者の方々の宿泊場所は、☆☆☆☆のカントリーホテルでプライバシーを存分に味わうことができ、移動はありません。現在、加速的に世界のシフトは起きています。これからさらに挑戦的な時代を迎えるにあたりまず、スローダウンして私たち個々のより深い内なる世界にじっくりとチューニングする必要があることから急遽このリトリートを企画しました。参加人数は12名と制限がありますので先着順に受けつけさせていただきます。あしからず!
リトリート集合はロンドンで、解散もロンドンです。
空会社は各自選択。
ご必要な場合はアースピルグリムを通した旅行代理店に予約が可能です。
その場合のお問い合わせ: アカデミートラベル:rio.wajima@academytravel.jp
集合場所: ロンドン、ヒルトンホテルのロビーにて
London Hilton Park Lane
22 Park Lane London W1K1BE, UnitedKingdom 020 7493 8000
集合時刻: 4月10日 11:00 am
参加費: ¥ 195,000 (リトリート中の食事、ダブルルームの宿泊、移動交通費がすべて含まれています。注:日本ロンドン間の航空チケットは含まれていません。)
参加お申込み: echan.jp@gmail.com
株式会社アース・ピルグリム
Tel: 079-563-6610
Fax: 079-563-6618
至急メールまたは電話でお名前、その他コンタクト詳細をお伝えください。航空券の予約が完了し次第、リトリート参加費を全額お振込み願います。先着順にお申し込み受け付けさせていただきますのでご了承ください。尚、お振込み期限は、3月末日とさせていただきます。
お振込先: 銀行名:りそな銀行
支店名:渋谷
口座名義:(株)マラナサジャパン
口座番号:(普)2349003
スケジュール
4/10 ロンドンヒルトンホテルにて集合後、ミニバスでリトリート地のホテルまで移動→チェックイン→リラクゼーションディナー→エハンよりリトリートについての説明
4/11 エハンによるモーニングセッションとメディテーション
午後:海岸散歩 歴史を含めたローカルエリアについてを地元のスピリチュアルガイドのアン・バージャーさんから説明してもらう。夜: 夕食 スパタイム(ホテルには屋内プール・スパなどレジャー施設が整っています。
4/12 <聖者の道>ウォーク(コーンウォールは古代の巡礼道が通っていて、ケルトの聖人たちがイギリスに船で到着しのちにヨーロッパにわたる前に必ず通過しました。神秘的なエネルギーを満喫して散歩をエンジョイしましょう!)ローカルパブにてランチ 夜:オプション:地元のマッサージセラピストからボディワークやアン・バージャーさんの個人セッションを受けたりすることが可能です。(コストは参加費に含まれていません。)
4/13 エデン・プロジェクトへの旅:
エコ・モデルとして世界的に注目されているコミュニティを見学。豊かな植物種に囲まれた環境でパワフルなエネルギーを満喫しましょう。
4/14 神秘の日
古代のストーンサークルにてセレモニーを行います。ケルトのスピリットにつながりましょう。夜:ディナーパーティ
4/15 朝:コーンウォール出発→ロンドンヒルトンホテル→解散(14:00pm)
2010年03月02日
エハン・デラヴィ最期のトークイベント
初めまして。「YOU are EARTH」の篠崎と申します。
現在、エハンさんはきたる2012年に向けての研究における集大成に入っています。その為、ブログなど他の媒体における情報発信をいっさい控え、ネット配信番組「2012 Renaissance」に全力を注がれている次第です。
今後は今までエハンさんが積まれてきた研究内容、その他最新の情報など、私や、私以外にもエハンさんの身近にいらっしゃる有能な方々が記事にしていきますので、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
まず、今回は皆様にイベントのお知らせです。

きたる7月3日、東京晴海埠頭で「2012年に関するトークイベント」が行われます。
午前11時から16時半まで、17年かけたエハンさんの研究内容を聞ける「最期のチャンス」です。
今年に入ってから、エハンさんはほとんど執筆活動をされていません。質疑応答タイムなどもございますので、この日にみなさんが今まで抱えてきた疑問などを質問出来る最期のチャンスでもあります。
エハンさんのこうした企画は、今年は勿論、これからもこのイベントがラストとなります。この機会を皆さま、是非お見逃しなく。
7月3日に向けて、このブログでは「エハンさんの今までの研究内容」に基づいた記事を、テーマ別に連載していきます。
「沢山本があって、どれを読んだらいいかわからない」という方にもわかりやすいようまとめていきますので、そちらを参考にしながら、独自に解釈を進められていくことをお薦め致します。(鵜呑みは厳禁ですよ。これから訪れる新たな時代は「独立個人」ですから((笑)))
では、これからの新しい「Synchronicity」を、よろしくお願い致します。
YOU are EARTH 篠崎由羅
現在、エハンさんはきたる2012年に向けての研究における集大成に入っています。その為、ブログなど他の媒体における情報発信をいっさい控え、ネット配信番組「2012 Renaissance」に全力を注がれている次第です。
今後は今までエハンさんが積まれてきた研究内容、その他最新の情報など、私や、私以外にもエハンさんの身近にいらっしゃる有能な方々が記事にしていきますので、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
まず、今回は皆様にイベントのお知らせです。

きたる7月3日、東京晴海埠頭で「2012年に関するトークイベント」が行われます。
午前11時から16時半まで、17年かけたエハンさんの研究内容を聞ける「最期のチャンス」です。
今年に入ってから、エハンさんはほとんど執筆活動をされていません。質疑応答タイムなどもございますので、この日にみなさんが今まで抱えてきた疑問などを質問出来る最期のチャンスでもあります。
エハンさんのこうした企画は、今年は勿論、これからもこのイベントがラストとなります。この機会を皆さま、是非お見逃しなく。
7月3日に向けて、このブログでは「エハンさんの今までの研究内容」に基づいた記事を、テーマ別に連載していきます。
「沢山本があって、どれを読んだらいいかわからない」という方にもわかりやすいようまとめていきますので、そちらを参考にしながら、独自に解釈を進められていくことをお薦め致します。(鵜呑みは厳禁ですよ。これから訪れる新たな時代は「独立個人」ですから((笑)))
では、これからの新しい「Synchronicity」を、よろしくお願い致します。
YOU are EARTH 篠崎由羅
Posted by エハン at
22:11










