2009年08月05日
Metamorphosis

生まれたばかりの蝉はじっとしている。まだ羽が濡れているためすぐ飛び立てられない。
この前の島根県のセミナーに向かった参加者ウリグリ-スさんに発見された変態の瞬間だ。
ぼくの執筆や映画の大きなテーマはこの変態であり、どうしても理解がしがたいものだと思う。
なぜならば人間は今の「形](ギリシャ語のμορφή (morfe)を意味する)は最後だと思って、人間の進化の過程が見えなくなったからではないか?しかし、ちょうどこの季節に蝉の鳴き声があって、殻を捨てて、毎日思う存分に歌を歌って、我々にまるで「変態の歌」を脳みそに焼き付けるかのように。。だから考えましょう、変態を。。
Wikipediaから引用します。強調したのはぼくの発想にぴったりの部分:
変態(へんたい、metamorphosis)とは、動物の正常な生育過程において、ごく短い期間に著しく形態を変えることを表す。特に、栄養の摂取に特化し、生き残りと成長に最適化された幼生と、次世代を生み出すための生殖機能を備えた成体の間で、形態が大きく変わることが多い。それに伴い、生活様式や場所が変化する場合もある。
エルンスト・ヘッケルは生物の発生は進化の経路を辿るとする反復説をとなえた。この説は、現在では多くの問題を指摘されているものの、基本的にはある程度の範囲で認められている。その意味では、動物が発生の過程で姿を変えるのは当然とも言える。その観点に立てば、変態とは、それが成長の過程に見られる現象という見方もあり得る。
変態するか?それとも絶滅するか?このままでは「無理」ではないか?進化の浪は津波のように今、接近している最中ではないでしょうか?
Posted by エハン at 10:24
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