2014年11月12日
エハン塾でお遍路の話

1300キロぐらいだったかね?
大変な、本当に有意義な旅でした。
是非あのお遍路の内面的な経験について共有しょうと思って今月のエハン塾で話します。
何がいいの?
。。と聞かれることとが多いですね。
お遍路って、なぜ30代の女性が比較的に多いでしょうか?

エハン塾は東京で開催されますが無料配信もありますから遠方からの参加が出来ます。
2007年07月02日
2007年06月30日
最後に向かって

▲ 第86番札所、志度寺で再会したアキさん
このリポートは、第87番札所、長尾寺からのリポートだ。
今日は、最高の天気に恵まれて、いい風が吹いている。
前の札所で再会したアキさんに
「2人で歩くのではない、なぜならば最後の日だから、おしゃべりしながら歩むのではなく
しっかりと今までの全てを感じながら、最後のお祈りに力をいれていこう。」
と伝えた。
またここで再会したのは、せっかくのチャンスだから
アキさんにインタビューしたいと思っている。
なぜなら、僕と違って継続的に32日間、歩き続けたお遍路さんとして、
貴重なインタビューチャンスだと思うからだ。
では、隣に座っているので、1つだけ聞きたいと思う。
『32日間を歩き続けた中で、当然色々あったと思います。
しかし、自分にとって、1番学んだことは何でしょうか?』
『気持ちだけ強くもって生きたら、これから何があっても負けないと思います。』
まさしくその通りだと思います。
たとえば、昨日、ものすごい雨に降られて、僕は河童は使わないので
濡れながら歩いていると、なんとアキさんはカッパを持っているにもかかわらず、
僕の気持ちに同情してくれて、カッパを使わないで、むちゃくちゃ濡れながら
歩いたのに全く平気だった。
お互いに話したのは
『一般の人なら、こんな馬鹿なことしないだろう』といって
『だて風邪ひくもん』と考えるでしょう。
しかしそれは思い込みでしょう。
体温によって、すぐ乾燥するものでしょう。
だから簡単な話だけども、健康意識の増進法としては、お遍路は”最高の方法”ではないかと
つくづく感じる。
ここで、また別れて、1人1人の独立個人の道を歩き続ければ、
最後のお寺で再会するであろう。
2007年06月29日
ご両親のために歩く男

典型的なお遍路の宿風景
昨日の午前中に30歳のバリバリ元気なお遍路をしている
アキさんに出会った。
彼は30日前にご両親の健康のためにこの道を歩み始めた。
お母さんは、ガンの手術を受けていま回復中で、
お父さんは、これから心臓の手術を受けると僕に説明した。
このまだ30歳の男性は、なんと自分の体でもって
自分を産んでくれた二人のために結構ハードな道を選んだ。
実に感動した。
「あなたのような若い人が増えればいいのに」
と、僕は彼に伝えた。
当分一緒に歩こうということになった。
山に入ったとたんに、大雨が降り始めた。
彼は、カッパを持っていたのだが
僕はそのまま濡れて行った。
すぐ乾燥すると思った。
そしてとてもあり難い涼しさだった。
次のお寺に到着すると
彼は、ちょっとしたコメントをこぼした。
「この辺になるとお遍路さんのお金はよく取られる」
と僕に伝えてから5分後に
「財布がない」と大声で言った。
その財布に必要なすべてのお金と身分証明書などが
いっぱい入っていた。
このときこそあの筋力テストをやらないと・・・
“パーワーかフォースか”に書いてあるとおりに、
彼の右腕に僕の左手で圧力をかけて、そして彼が三角筋の
力で抵抗する、というテストだ。
「財布はこの周辺にある」
で、見事に力が抜けたので、彼の腕は下に引っ張られた。
「ここ国分寺とここの間にある」
で、しっかり抵抗が出来た。
彼の財布はいままで歩いてきたどこかに落ちたはずだ。
私たちの話を聞いていたもう一人のお遍路さんは、
「ベンチの上に財布を見たよ」
と言って、その場所を説明してくれた。
確かに私たちが一時休憩した場所だった。
アキさんはさっそく逆戻りをした。
しかし、あとで携帯で連絡をすると
「なかった」と言ってアキさんの気持ちはものすごく
ダウンしてしまった。当分歩く気はしなかった。
よくあることと思われるが、最後の辺りに気を抜くという
ことについて彼が先ほどの
「このへんになるとお金をよく獲られる」
に関係していた。
あともうチョットだと思うと不注意になって絶対普段
やらないことをやってしまうのだ。
12時間を歩いた。
上の写真の宿は「貸しきりだった」
ぶっ倒れてあとは寝るだけだ。
今回のストーリーはハッピーエンドだった。
アキさんは警察署に電話を入れて、確かに
誰かが彼の財布を届けてくれていていたのだ。
僕は、82番札所の管理人に
「落とし物は大抵返ってきますか」と聞いたら、
「お寺内だったらほとんど返ってくるけど、
外で落とすと返ってくる確立は少ない」
つまりお寺の敷地内に罪を犯すとものすごい
大変なバチが当たると大抵思われる。
しかし、山の中に落とし物を見つけると誰もみてないし
お寺でもないし、だからこそ貰っていいじゃないかと・・・
昨日は、いろんなハプニングがあった中で
とくに僕にとっては2つのポイントがあった。
1、お遍路をしながら、ものすごく言葉に注意を払わないと
共時性はすぐに起こってしまう。
アキさんは、お金がなくなる話の直後に実際に自分のお金がなくなった。
2、ほとんどの日本人は、正直だ。
このリポートは第83番札所一宮寺からだった。
順調に行けば、明日午後に最終の88番札所に到着する予定だ。
2007年06月28日
山上の説教

第79番札所 天皇寺
昨日の11時から18時までほぼノンストップのコースだった。
34度くらいの強烈な暑さで歩き続けた。
結構、お寺が多かったので(70番から77番まで)逆に休憩が
とれない状態だった。
というのは、納経所へ行って手書きで筆と墨で書いて
くれることは時間がかかるからだ。
そしてすべての納経所は17時までだから、77番札所に17時までに
到着しなければ、次の朝7時までどかに泊まらなければならん。
昨日の最後の2、3時間、頭が痛くなったことは、
さすがの日射病だった。
基本的にあんな暑さに7時間継続的に歩く人は
もともと頭がおかしいはずだ。だから痛くなるのだ。
しかし不思議なことで、そんなに苦労せずに
昨日一日とても早いスピードで終わってしまったのだ。
おそらくお祈りのせいだと思う。
つまり一番からここまでの間に歩きながら一言の
お祈りをずうっと継続しているのだ。
本当に不思議な効果があるようだ。
毎回、勉強する本を持ってくることがお遍路においては
不可欠な条件だ。
今回の本は、「山上の説教」の解説本だ。
ご存知ない方が多いかもしれないが、
ある山の上に、2、3日に渡ってキリストが自分の
中心的な教えを分かり易く大勢の人に説教したのだ。
内容は当然とても深くて、ものすごくシンプルだ。
キリストは神学的なことを一切言わなかった。
しかし、どのようにしてスピリチュアルな生き方が
出来るかについてとても実用的でものすごく効果的な
「心の持ち方」について語った。
ルールを一切言わず、そして形化された方法論も
まったくない内容だ。
結局僕の捉え方に過ぎないが、今日一日完璧な
共時性の中にいられるように、自分の意識をどうもつかが
唯一の問題だ。
だからたとえば、一日中祈りながら物事を行った場合には、
どう自分の人生が変わるかが分かるはずだ。
僕は歩きながら、その実験をやっている最中だ。
これは、宗教や哲学ではなく、これはお遍路だ。
2007年06月27日
お遍路Part 12:最終への新しい始まり

第70番札所:ここから出発
いよいよ最後のラウンドだ。88番で終わらない・・そこから
もう一度1番へ行くことになっている。
今度は4-5日の旅で終了して、そして一番で完結すると・・
人間は巡礼者で、地球も太陽も、銀河も皆、旅をしている。
短い一年だったように感じる。
しかし長いたびが続く・・
2007年05月30日
カラスと蛇とカエル

※最高霊場である雲辺寺(900メートル)
四国の最も高い札所は66番目の雲辺寺だ。
昨日、65番の札所を出るときに
左と右の道があった。
右を選択した。
これが正しい道だと思った。
実はそれは思い込みだった。
正しい道は左だった。
歩き出したらすぐに、普通はあまりみれない
歩いているカラスに出会った。
僕の前に、道のど真ん中にピョンピョンと
ウサギのようにジャンプしていた。
不思議なカラスだなぁと思った。
話かけた。
「飛べないのか?大丈夫か?」
と聞いた。
恥ずかしい話だろう。
でも、誰もいないから、カラスとの
対談をしてもいいんじゃないか。
実は、あのカラスは逃げようとしなかった。
話かけたからかな?
もっと接近しようと思ったら
半メーターくらいのところまでに接近した。
アイコンタクトが出来た。
そうしたらなぜ飛べないのかと思えば
羽はちょっと普通じゃなかった。
まるでハサミで後ろの羽が切られたかのように
もっと接近するとただゆっくりと前進するだけだった。
また歩き続けた。
そうすると15分後に道のど真ん中に
また、別の生命体が現れた。
蛇だった。
1mくらいの蛇だった。
この蛇も動こうとしない。
「あぁこの蛇、死んだかな」と思った。
ずっと接近すると、ゆっくりと動きだした。
しかし全然急ぐ気もしなかった。
「不思議な山だなぁ」と感じながら、
2があれば必ず3があると確信した。
しかし、その日の内に3番目の生命体は
出なかった。

今朝、雨の中に雲辺寺に向かって行っている最中、
突然天に向かってある疑問の答えを頼んだ。
誰もいないから、目に見えない世界、
大自然にも聞けばサインがでるかなと思った。
実は、このテクニックはとても便利だ。
共時性が起こることがあるのだ。
聞いた直後に、道のど真ん中に3番目の
生命体が、じっとしていた。
僕の歩きをまるでブロックしているかのように。
本当に驚いた。
何故かと言うと、そのカエルは、
まったくのフリーズ状態だった。
接近すると目が開いていたが
呼吸はしていないように思った。
この写真は、約8cmの距離から撮ったもので
瞬きひとつもなく、
「ひょっとしてこのカエル新高も」と思ったが、
それは非合理的だろう。
こんな姿勢をとる死んだカエルは
宇宙のどこに行ってもないだろう。
驚いたのは、僕の投げかけた疑問は、
実は、神学的な大変大きな僕にとってのひとつの
謎めいている問題だ。
天に聞くとこのようにして
死んだようなカエルが現れる。
しかし、死んではいなかった。
触ることが出来た。
そうするとゆっくりと動き出したのだ。
この共時性は、僕にとっては、一体何を
言わんとしているのか。
カエルも蛇もカラスも
どれもが逃げようとしなかった。
そして「3人」に対してコミュニケーションをした。
おそらくは、今大自然の生命体たちは、人間と
コミュニケーションしたがっているのではないかと思う。

何百人も不思議な仏像に出会った。
みんな一人一人大変個性豊かな表情をもって
多分それぞれは違った職業や考え方を示していると
思われる。
詳しいことが分かれば教えてください。

今回のお遍路で歩き遍路はいないようだ。
いやそうではなく、ただ出会わなかったのだ。
ずっと一人で歩いているので、
この仏像と写真を撮ろうかなと思った。
2007年05月29日
お遍路パート11

昨日の午後から第62番札所を出て、暗くなるまで歩いた。
今朝6時に出発して、現在65番札所に向かっている最中だ。
今まで5~6本の川を渡ったが、どれも川がないんだ。
上の写真を見ていただくと全く水が流れていない。
この季節にこれが普通かどうか分からないのだが、
ちょっと気になった。
実は先月、ある50代のヨーロッパ人は、
とんでもない川のお遍路をやったのだ。
というと、世界一長い川のひとつであるアマゾン川の
ほとんど最初から最後までの数千キロを全部泳いだのだ。
驚くべきギネスブックに載る新記録だった。
やっぱり男は50からだ。
ということを思うと自分のやっていることは
全然どうってことないと考えさせられる。
その男は毎日、10時間ぐらいウェットスーツを着て
泳ぎ続けた。
どういう心境だろうか。
とてつもない目的意識が、その若くはない体を
ずっと維持したことだろう。
励まされたのだ。

休憩するということは、もちろん大切なことだ。
しかし、たとえば今日は40kmぐらいのコースになるから、
3~4回くらいの休憩しか許されない。
どういうことかというと、タイム・イズ・マネーの
世界ではなく時間は距離だ。
ヘタすれば休憩は少しでも長くなると、たどり着く時間は
夜になってしまう。
これから、香川県に入ることになる。
つまり四国の4番目の「国」に到着するのだ。
うまく行けば来月の第12回目のお遍路で終了することが
できると思われる。とにかく前進するのだ。
2007年04月19日
2007年04月18日
自分の年齢の札所

第54番の札所「延命寺」
生き延びるようだ。4月16日の午前8:35分に雨の中で、自分の年齢と同じ数字
を持つお寺に着くと、その名は延命字だった!僕にとっての共時性だった
のは人生をずっと振り替えたからだ。つまりこういうことだ:お遍路のスタートから
この札所までは今までの人生を象徴する「道」で、そこからは想像の中で何をするかはテーマ
になる。
10代の中心イベントは3歳だったのは異次元体験のはじまりっとなった強烈な「光」に
遭遇したこと。そのときに経験したことは、40歳までの謎めいた体験としてずっと分からなかった。
後でわかったのは「催眠療法」を受けて、なんとあのときに身長2メータのカマキリ生命体
によって後頭部に注射をされた。変だと思われるはずであろう・・しかし40歳になると解明された。
16歳からは「旅人」になり、全世界を放浪するようになった。18歳のごろ、ヒマラヤの聖者とともに
旅をし、19歳にアフリカを一人で縦断した。何かによって動かされていたかのように・・
20代の中心イベントは妻のソニアに会う、そして親になり、日本で生活すること。
30代の中心イベントとして東洋医学を専攻してヒーラになることだったでしょう。その次
は海を渡って、カナダで会社を設立することだった。
40代の中心イベントはどうも「空飛ぶ発光体」で、あの時からは今のミッションが始まった。
カマキリ生命体の注射はシャマニック体験で、将来に40歳になってから解明されると言われた・・
異次元へシフトすることによって時間外の「空間」から情報を得られるようだ。そこで2012年の
意味について考える必要があると分かった。
50代の手前にカナダでの12年間を終えて日本に帰るインスピレーションを受けた。
今までの50代の中心イベントは執筆家になったことで2003年から(51歳)翻訳本も
含めて12冊を出した。その次の作品は今、執筆中だ。
そして54歳で延命寺にたどり着く・・
60歳の誕生日は2012年になる。
60番の札所までは結構ハードだった。明日は
その映像をお見せします・・・