2007年05月30日

カラスと蛇とカエル

雲辺寺
      ※最高霊場である雲辺寺(900メートル)


四国の最も高い札所は66番目の雲辺寺だ。

昨日、65番の札所を出るときに
左と右の道があった。

右を選択した。
これが正しい道だと思った。

実はそれは思い込みだった。
正しい道は左だった。

歩き出したらすぐに、普通はあまりみれない
歩いているカラスに出会った。

僕の前に、道のど真ん中にピョンピョンと
ウサギのようにジャンプしていた。

不思議なカラスだなぁと思った。

話かけた。
「飛べないのか?大丈夫か?」
と聞いた。

恥ずかしい話だろう。
でも、誰もいないから、カラスとの
対談をしてもいいんじゃないか。

実は、あのカラスは逃げようとしなかった。

話かけたからかな?

もっと接近しようと思ったら
半メーターくらいのところまでに接近した。

アイコンタクトが出来た。

そうしたらなぜ飛べないのかと思えば
羽はちょっと普通じゃなかった。

まるでハサミで後ろの羽が切られたかのように
もっと接近するとただゆっくりと前進するだけだった。



また歩き続けた。

そうすると15分後に道のど真ん中に
また、別の生命体が現れた。

蛇だった。
1mくらいの蛇だった。

この蛇も動こうとしない。

「あぁこの蛇、死んだかな」と思った。

ずっと接近すると、ゆっくりと動きだした。
しかし全然急ぐ気もしなかった。

「不思議な山だなぁ」と感じながら、
2があれば必ず3があると確信した。

しかし、その日の内に3番目の生命体は
出なかった。



カエル


今朝、雨の中に雲辺寺に向かって行っている最中、
突然天に向かってある疑問の答えを頼んだ。

誰もいないから、目に見えない世界、
大自然にも聞けばサインがでるかなと思った。

実は、このテクニックはとても便利だ。
共時性が起こることがあるのだ。

聞いた直後に、道のど真ん中に3番目の
生命体が、じっとしていた。
僕の歩きをまるでブロックしているかのように。

本当に驚いた。
何故かと言うと、そのカエルは、
まったくのフリーズ状態だった。

接近すると目が開いていたが
呼吸はしていないように思った。

この写真は、約8cmの距離から撮ったもので
瞬きひとつもなく、
「ひょっとしてこのカエル新高も」と思ったが、
それは非合理的だろう。

こんな姿勢をとる死んだカエルは
宇宙のどこに行ってもないだろう。

驚いたのは、僕の投げかけた疑問は、
実は、神学的な大変大きな僕にとってのひとつの
謎めいている問題だ。

天に聞くとこのようにして
死んだようなカエルが現れる。

しかし、死んではいなかった。
触ることが出来た。

そうするとゆっくりと動き出したのだ。

この共時性は、僕にとっては、一体何を
言わんとしているのか。

カエルも蛇もカラスも

どれもが逃げようとしなかった。
そして「3人」に対してコミュニケーションをした。

おそらくは、今大自然の生命体たちは、人間と
コミュニケーションしたがっているのではないかと思う。



仏像


何百人も不思議な仏像に出会った。
みんな一人一人大変個性豊かな表情をもって
多分それぞれは違った職業や考え方を示していると
思われる。

詳しいことが分かれば教えてください。


仏像と一緒に


今回のお遍路で歩き遍路はいないようだ。
いやそうではなく、ただ出会わなかったのだ。

ずっと一人で歩いているので、
この仏像と写真を撮ろうかなと思った。


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Posted by エハン at 13:33 │お遍路の日記
この記事へのコメント
お疲れ様です。五百羅漢像もそうですが、この多くの仏像はこの中に、亡くなった人によく似た面持ちの像が必ずあるといわれ、参拝した人はそれぞれ故人となった家族や友人をしのび、祈ると言う意味があります。
後は私が思うに、これだけの仏像が石で出来ている。つまり、同じ物質から出来ていると言う事で人間の遺伝子における共時性を感じますね。
Posted by 藤本 玄 at 2007年05月30日 14:25
はじめまして。はじめて書き込みいたします。福岡に在住の料理に従事するものです。

光と闇、エネルギーなどで検索していて貴殿のブログにたどり着きました。
内容もどれもウンウンわかるわかる、面白い、素晴らしいと思うものばかりで。ありがとうございました。

また、偶然ではなく、必然にたどり着いた気もします。
個人の独立 ステキですね。目指して頑張ります。たまに覗かせて頂きたいと思います。よろしくお願いします。
Posted by 高瀬妙子 at 2007年05月30日 18:21
エハンさんこんばんは。
素晴らしい心の旅をありがとうございます。
沢山の仏像は1人の人間の時間を細切れにした姿の連なりのようにも映るし、また千手観音さまのようにも数多の分身に変化された如来様のようにも映ります。
私にはまさに一即多、多即一を顕しておられるかと感じ永遠の時の流れをも感じます。
違うように見えていながら、数多の自他は実は一体で、すべてが一つの根源から分かれている存在で、一つの根源を数多の個性である私達が顕していて、それはまさに千手観音の千の手でもあるのでしょう。
素晴らしいお遍路の旅をありがとうございます。私も来月聖地である四国へ巡礼へ参りますので何だか嬉しいです。
Posted by マリモ at 2007年05月31日 03:32
エハンさん、いつも楽しくて、中身の濃いブログを有り難う御座います。
今回のお写真も興味深いものばかりですね。特に最後の仏像とご一緒のは
秀逸だと思いました。思わず、アハハハ!と笑いました。ちょうどそばに来た家族も、アハハハ!と笑い、すご~く楽しい気分になっています。有り難う御座います。
Posted by village at 2007年05月31日 08:39