2006年08月09日

インドのキリスト意識

インドのキリスト意識

Sadhu Sundar Singh (1889-1929): 全くユニークなクリスチャン

数年前にある男のスピリチュアル冒険についてある情報に出会いました。
驚いた!こんな人は本当にいるのか?・・と半信半疑でした。インドの聖者
とキリストの弟子の混合したような珍しい人物だった。40歳でチベットで消えた・・

インド人として超厳しいシーク教の家族
に生まれた若者としてキリスト教が大嫌いで、聖書を焼いたりしたのですが
15歳の時に想像を絶するイベントが起こったのです。

「陽明けまでに神の存在が絶対に証明できないと俺は線路の上で自殺する!」と
誓ったスンダル・シングの部屋にイエス・キリストが現れました・・

その日から死ぬまでスンダルは世界を放浪し続けたのです。そして・・消えた・・
以下の情報は彼についての概要です:

20世紀中「最もキリストに似た人物」と言われ、全インド、東洋また西洋に巡回し
多大の感化を与えたキリスト教の伝道師スンダル・シングは、インドの三大精神的巨人
(タゴール、ガンジー)の一人に数えられる。

インドの最も素晴らしい精神と新約聖書の信仰の結晶が彼の人生でした。 
キリスト教をインド人らしく表現し、その教えは単純にしてしかも深く、
霊的真理を開示し、精神的に荒廃しつつある今の時代に、最も大切な心
の糧を提供してくれます。

霊峰ヒマラヤを愛し、困難と迫害をものともせずチベットに伝道し、
そこで消息を絶つ、勇気と冒険の生涯をつづった男でした。
入神、癒しの賜物はスウェーデンボルグと並ぶ神の人として
彼は、パウロのように、キリストの顕現に直々に出会って、キリスト教徒になる。

その後もしばしば神秘的体験をし、霊界の知識の類稀な持ち主だった。
彼の思想にはこれらの中心発想がありました:

icon08 「キリストのために苦しむことを喜び」、十字架を負う生涯を生きた。
icon08 「キリスト教とはキリストである」という。福音の中心に、いつもキリストがある。
icon08 インド人らしいメッセージとして、「祈りと瞑想」の重要さを強調して止まない。
icon08 どの教派にも属せず、誰の弟子にもならず、また自分自身は弟子をもたない。
icon08 クリスチャン・サドゥとして、何ものも持たず、物質に支配されない生き方を通した。
icon08 聖書を徹底的に愛読した。また、自然という神の書を読んだ。
icon08 愛と憐れみに富んだ人格だった。自然を愛し、動物を愛し、植物を愛した。

とりわけ、人への愛は、困難な伝道活動に駆り立てた。

こんなキリスチャンに会いたかった!僕の国の教会に行ってた殆どは日曜日
キリスチャンだったので拒絶した。シングは白人のキリスチャンにも無視されること
もあった。だってインド人のサドゥの格好をして、教会も関係なく勝手に伝道した!

しょうがないですね、訳の分からないキリスチャンよ!キリストは内なる存在だぞ!
宗教と無関係だ!と・・僕が思うのだ。

インドのキリスト意識


同じカテゴリー(神秘主義者の知恵)の記事
散らばろう!
散らばろう!(2015-06-09 10:46)

Sri Aurobindo
Sri Aurobindo(2009-12-26 11:56)

Maranatha man
Maranatha man(2009-09-17 11:01)


Posted by エハン at 11:13 │神秘主義者の知恵