2011年06月27日
Meeting the past

アマゾン川流域に自生する蔓植物のアヤワスカで作るプランタには、DMT(ジメチルトリプタミン)という幻覚剤が配合されている。この物質は、もともと人間の身体の松果体の奥深くにも存在していて、それは人間が危機に瀕した非常事態にだけ使われる物質だといわれている。
松果体とは、脳の2つの大脳半球の間に位置する豆粒大の神経組織であり、ここの部分は、歴史的にも世界各地の様々な民族の伝承文化において、“第三の目”と言われている部分でもある。そしてこのパーツから、生死を分けるような緊急事態に、DMTが一気にリリースされるのだ。
そのとき、死の一歩手前で見ていた世界が、突如として美しい愛と光の世界や、身の毛もよだつような恐怖の世界に変わる。いわばDMTは、世界を二つに分ける扉の鍵になるのだ。
この扉は、長い人類の歴史の中であまりにも完璧に無視され続け、硬く閉じられてきた。しかし、この扉は、松果体が非常事態のサインを受け取り、活動的になった時に、恐怖か、もしくは歓喜の二つの世界へと、爆発的に扉を吹き飛ばすように開かれるのだ。
現代人たちは、このことをすっかりどこかに置き忘れてきてしまった。けれども、かつての人間たちは、そんな能力が備わっているのを知っていて、別の次元に自由に行き来することなどができたものだった。
それは、夢でヒントを与えられても、帰り道は自分で探さなければならないという次元だ。もし、地図から消されてしまった失われた世界へ行きたいなら、強い意志と勇敢さを持った者だけが、そこに入っていけるのだ。
ここジャングルの人々は、現代人たちがすでに失ったものをまだ持ち続けている。南米にやってきたスペインからの侵略者は、目に見える土地を物理的に征服はしたものの、もうひとつの世界は征服できなかった。
それは、シャーマンからの招待状がない限り行けない世界だ。そして、もちろん、この世界を一度知ると、その代償も大きい。なぜならば、今までの信念体系を揺るがすほどの体験にも直面しなくてはならないからだ。
また、この魔法の扉が一度開くと、あらゆる神秘現象に加えて、崇高かつ狂気的な超常現象にしばしば遭遇することがある。
「この世界で狂気だと思えることは、賢者にとっては神聖だったりする」という修道院の神学校時代に宗教学で教わった言葉をガブリエルは思い出した。
さて、聖母マリアを讃える声が次第に高まってくる中、儀式がはじまって、時間はすでに30分を過ぎていた。
そろそろハーブが効きはじめる頃だ。
“死の蔓”、もしくは“ビジョンの蔓”と呼ばれるアヤワスカが彼らをじわじわと征服しはじめた。
虹虎の顔には、自分の吐いた吐瀉物がかかっていた。彼は、突然襲ってきた吐き気に対応することができなかったようだ。このような吐き気の波は、すでにグループ全員を襲っていたが、何度か経験のあるガブリエルだけは、今のところ、なんとかぎりぎりの状態で持ちこたえていた。
その頃、天ノ山の方は、過去から今までどれだけ自分が重大な罪を犯してきたか、まざまざとそれらの映像を見させられていた。
彼が過去に、残虐なやり方で“消した”命の生々しいリアルな映像が、まるで再び自分がその現場にいるような形で再現されている。それもあろうことか、殺人者である彼の視点ではなく、殺された男の側の目線で、今、再びその時と同じことを逐一体験させられているのだ。
天ノ山は、その完璧なまでに演出された神聖なる審判の場で、今や絶体絶命の瞬間に追い詰められていた。何しろ、その裁判の判決を下すのは、裁判官ではなく自分自身の魂なのだ。彼はまもなく、無残にも自分が日本刀で切った男の痛みがどんなものであったかを、自ら同じように体験することになる。
虹虎は、止まらない吐き気に苦しみながら、同時に嗚咽の声を上げていた。
彼の心の奥深くのスクリーンには、一人のみすぼらしい身なりをした女性が胸元に包みを抱えている姿が映った。女性は、雨の中を濡れながら急ぎ足で必死にどこかへ向かっていた。彼女が抱きかかえた包みの中からは、何かの塊が力強くバタバタと動き出し、小さな鳴き声を上げている。
ある建物から、一人の白人の修道女が現れた。彼女はその包みを受け取ると、アイヌのまだ若い女性が今来たばかりの道を、再び急ぎ足でスラム化した通りまで戻る姿を静かに見つめていた。修道女が包みを開けると、幼い虹虎のつぶらな瞳が彼女をまっすぐ見上げた。
その子は、生まれたばかりの赤ん坊であるにも関わらず、何が起こっているかを察知したかのように、行き場のない悲しみと大きな喪失感を味わっていた。その大きな悲しみは、小さな体の細胞の1つひとつにまで広がっていく。その痛みは、実際に、身体の心臓から身体全体を引き裂かれるようなほどリアルに感じられるものだった。
それを今、全身で受け止めている虹虎の泣き声が絶叫に変わってゆくのを、その隣にいるマサミは、途方にくれておろおろとしながら、なすすべもなく彼を慰めていた。
「母ちゃん!!どうして、オレを置いていったんだよぅ・・・」
この夜、彼の質問に応えはなかった。
背中を丸めて、小さくうずくまった彼の身体は震えている。続いていた嘔吐は、いつの間にか治まっていた。彼の心の奥深くに溜まっていたものが、今、すべて外に吐き出されたのだ。
天ノ山は、うつぶせになった男から3メートル離れた場所にある、まだピクピクと動く手の持ち主の顔を、できればはっきりとは見たくないと思っていた。自身が2度目に刀を振りかざすと、それは男の右足に致命傷を与え、踏み込んで入ってきた古びた事務所の奥にある部屋の襖に大きな血しぶきを上げた。
すべては金のためにやったことだった。何百万もの現金を掴み取ったその手は、切られても、まだ自分が慕っていた兄貴と呼ぶ男の隣で震えていた。男には、死がすぐそばに差し迫っていた。助かる見込みは全くない恐怖が、天ノ山に覆いかぶさってくる。
自分がやったあまりに残虐すぎることは、次の瞬間、じたばたと最後まであがいていた男の首がはねられ、その場に断末魔のうなり声が響き渡ったことで終わった。最後の瞬間に、希望を失った男の眼光だけが、天ノ山の目に焼きついた。
「許してください、兄貴!」
これが男の最後の言葉だった。それは、彼の心の底からの叫びであった。天ノ山は、身体をブルブル震わせて、恐怖に慄いた目から、滝のような涙を流し続けている。
ドンは、地面に置いていた扇子を手にした。彼の左手のタバコからは、煙が立ち昇っている。彼は、足元で七転八倒しながらカオス状態で悶絶している者たちに向かって、手にした扇子を楽器代わりに揺らして、風を送りながら、のどを少し鳴らすと、歌の準備をはじめた。
to be continued...