2010年03月22日
地球巡礼者─アースピルグリム(5-2)自然と人を繋ぐ存在
かつては自然(自然神)信仰だった日本も、仏教が入ってくることでその在り方が変わってしまいました。しかし本来、日本文化の中には「自然を敬う姿勢」というのが少なからず入っていた──私はそう思います。
そのひとつに、「季節感を重んじる心」というのがあります。その季節にあった行事、風習を日本人は楽しみます。少なくとも、そこには「自然を資源とだけしかみない」という在り方はないはずです。
日本が精神的に崩れ始めてしまったのは、そうした「自然と一体化した生活」というものから切り離されて来たからではないか──そんなふうに思うこともあります。
今では旬も何も関係なく、どんな野菜や果物もスーパーで買えてしまう時代。そのうち「旬」という言葉さえ、死語に近くなってしまうかもしれない──。
これは「文明の力」といって褒め称えるべきものではなく、むしろ「自然から切り離されていく行為」として、嘆き悲しむべきものなのではないでしょうか。
レネ・フランコ・サラスの言葉は印象的です。
「星は兄弟で、丘と神聖な山(ルビ・アプ)は、私たちの保護者なのです。湖は、私たちに生命を与え、生活を支える祖父です」
完全に自然と一体化して生きられる姿勢というのを失ってしまった私たちにとって、レネの言葉は「自分たちの生活を省みる機会」をも与えてくれます。
また、この章の中でグラハム・ハンコックが語った言葉も印象的です。
「しかし、異次元世界を体験したいなら、シャーマンに会うのが一番です。彼らは日常生活の一部として、異次元世界を探索しているからです。
産業化し、技術の進んだ国で暮らす私たちは、シャーマンと比べて未熟です。私たちの文化は技術面では優れていますが、魂の探索という面においては著しく劣っていると思います。本当の意味で巡礼者になりたいのであれば、シャーマンに教えを請うべきです」
シャーマン。自然と共にあり、自然の智慧を授かる存在──。
本当に大切な智慧は人間が生み出した学問の中にはなく、大自然や宇宙の中にこそあるものなのかもしれません。
自然から切り離されて、自然をただの物質的現象と捉え、机上の空論を翳すことは可能でしょう。
しかし、人はいざ自然から切り離された状態で「本当の自然の智慧を授かることは出来ないのではないか」そうも思います。
だとしたら、私たちは文明が進めば進む程、生み出す知識は「自然や宇宙の法則から切り離された『ひとりよがりのもの』」となってしまう危険性は否めません。
シャーマン研究家のポール・テンプルは語ります。
「彼らは、私たちの健康状態を感じ取ります。肉体的な領域と精神的な領域のバランスが崩れたり、相対的世界に固執しすぎると、体のバランスが崩れます。どんな状況であっても、病気になるのです。シャーマンの所に行って癒しや浄化が必要だと言えば、吐き気や便意を催す薬草をくれます。まずは浄化して、それだけで肉体と精神のバランスを取り戻せるかを試すのです。
シャーマンにこの薬草のことをドラッグだと言えば、『それは全然違う』と答えるでしょう。『それは君たちの世界観の思いこみだ』と。この薬草はニューワールドのモノであって、異次元世界をつなぐ植物だから、『聖なる』植物として扱わなければならない。サボテンを鍋に入れて何時間も煮込んでいる間に、効果を高めるために良い気を入れることが重要だ。なぜなら、私たちは今世代の聖なる植物の番人だからです。この伝統を継承しているからです。だからこの伝統を尊敬し、大切にしましょう」
私たちはただの「思いこみ」で、何千年も続いてきた伝統を安易に壊したり、否定します。
しかし、「ならば私たちの文明は本当に正しいのか」と言えば──全くもって、そうではありません。
きっとこのペルーの地では、鬱病になった人に対して「大量の薬」が処方されることはないでしょう。
いえ、それどころか鬱病にさえかかることがないかもしれない。その事実だけで、充分「私たちの文明の問題点」が分かるような気がしてきます。
巡礼を前に、ワシューマと呼ばれる飲み物を飲んで儀式を行います。そうすることで、その地の自然との繋がりが強くなるからです。
原住民やシャーマンといった人々は、「いかに人間にとって、自然との繋がりが大切か」を知っている人たちのように思います。
それは「生命の本質」に近い在り方であって、エゴによって自然を支配しようとしている文明人の在り方とはほど遠い。いわば、「共存共栄」であり「調和しあう姿勢」だと、私には思えます。
そうした彼らの在り方を見ると、「文明というものは、人間の進化の産物と呼べるのか」──私は疑問です。
技術が便利になったところで、生物が退化してしまえば「まったくもって意味がない」。明らかに、私たち先進諸国の人たちは肉体的な意味でも、また精神的な意味でも退化してしまっているのではないでしょうか。
シャーマンや原住民の生き方は、私たちに「これからの人類は、どのように自然と共に生きていけばよいのか」という問題を提議してくれている──そんなふうにも感じる次第です。
DVD「地球巡礼者」絶賛発売中。(すでにお持ちの方は、これからの解説も踏まえて視聴して頂けましたら幸甚です。何度みても必要なメッセージが、この中に含まれている──私はそう感じました。)
エハン・デラヴィ最期のトークイベントも受付中です。
17年間の研究成果すべてを聞けるラストチャンスです。

YOU are EARTH 篠崎由羅
そのひとつに、「季節感を重んじる心」というのがあります。その季節にあった行事、風習を日本人は楽しみます。少なくとも、そこには「自然を資源とだけしかみない」という在り方はないはずです。
日本が精神的に崩れ始めてしまったのは、そうした「自然と一体化した生活」というものから切り離されて来たからではないか──そんなふうに思うこともあります。
今では旬も何も関係なく、どんな野菜や果物もスーパーで買えてしまう時代。そのうち「旬」という言葉さえ、死語に近くなってしまうかもしれない──。
これは「文明の力」といって褒め称えるべきものではなく、むしろ「自然から切り離されていく行為」として、嘆き悲しむべきものなのではないでしょうか。
レネ・フランコ・サラスの言葉は印象的です。
「星は兄弟で、丘と神聖な山(ルビ・アプ)は、私たちの保護者なのです。湖は、私たちに生命を与え、生活を支える祖父です」
完全に自然と一体化して生きられる姿勢というのを失ってしまった私たちにとって、レネの言葉は「自分たちの生活を省みる機会」をも与えてくれます。
また、この章の中でグラハム・ハンコックが語った言葉も印象的です。
「しかし、異次元世界を体験したいなら、シャーマンに会うのが一番です。彼らは日常生活の一部として、異次元世界を探索しているからです。
産業化し、技術の進んだ国で暮らす私たちは、シャーマンと比べて未熟です。私たちの文化は技術面では優れていますが、魂の探索という面においては著しく劣っていると思います。本当の意味で巡礼者になりたいのであれば、シャーマンに教えを請うべきです」
シャーマン。自然と共にあり、自然の智慧を授かる存在──。
本当に大切な智慧は人間が生み出した学問の中にはなく、大自然や宇宙の中にこそあるものなのかもしれません。
自然から切り離されて、自然をただの物質的現象と捉え、机上の空論を翳すことは可能でしょう。
しかし、人はいざ自然から切り離された状態で「本当の自然の智慧を授かることは出来ないのではないか」そうも思います。
だとしたら、私たちは文明が進めば進む程、生み出す知識は「自然や宇宙の法則から切り離された『ひとりよがりのもの』」となってしまう危険性は否めません。
シャーマン研究家のポール・テンプルは語ります。
「彼らは、私たちの健康状態を感じ取ります。肉体的な領域と精神的な領域のバランスが崩れたり、相対的世界に固執しすぎると、体のバランスが崩れます。どんな状況であっても、病気になるのです。シャーマンの所に行って癒しや浄化が必要だと言えば、吐き気や便意を催す薬草をくれます。まずは浄化して、それだけで肉体と精神のバランスを取り戻せるかを試すのです。
シャーマンにこの薬草のことをドラッグだと言えば、『それは全然違う』と答えるでしょう。『それは君たちの世界観の思いこみだ』と。この薬草はニューワールドのモノであって、異次元世界をつなぐ植物だから、『聖なる』植物として扱わなければならない。サボテンを鍋に入れて何時間も煮込んでいる間に、効果を高めるために良い気を入れることが重要だ。なぜなら、私たちは今世代の聖なる植物の番人だからです。この伝統を継承しているからです。だからこの伝統を尊敬し、大切にしましょう」
私たちはただの「思いこみ」で、何千年も続いてきた伝統を安易に壊したり、否定します。
しかし、「ならば私たちの文明は本当に正しいのか」と言えば──全くもって、そうではありません。
きっとこのペルーの地では、鬱病になった人に対して「大量の薬」が処方されることはないでしょう。
いえ、それどころか鬱病にさえかかることがないかもしれない。その事実だけで、充分「私たちの文明の問題点」が分かるような気がしてきます。
巡礼を前に、ワシューマと呼ばれる飲み物を飲んで儀式を行います。そうすることで、その地の自然との繋がりが強くなるからです。
原住民やシャーマンといった人々は、「いかに人間にとって、自然との繋がりが大切か」を知っている人たちのように思います。
それは「生命の本質」に近い在り方であって、エゴによって自然を支配しようとしている文明人の在り方とはほど遠い。いわば、「共存共栄」であり「調和しあう姿勢」だと、私には思えます。
そうした彼らの在り方を見ると、「文明というものは、人間の進化の産物と呼べるのか」──私は疑問です。
技術が便利になったところで、生物が退化してしまえば「まったくもって意味がない」。明らかに、私たち先進諸国の人たちは肉体的な意味でも、また精神的な意味でも退化してしまっているのではないでしょうか。
シャーマンや原住民の生き方は、私たちに「これからの人類は、どのように自然と共に生きていけばよいのか」という問題を提議してくれている──そんなふうにも感じる次第です。
DVD「地球巡礼者」絶賛発売中。(すでにお持ちの方は、これからの解説も踏まえて視聴して頂けましたら幸甚です。何度みても必要なメッセージが、この中に含まれている──私はそう感じました。)

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YOU are EARTH 篠崎由羅
Posted by エハン at 19:15
│アースピルグリム