2006年11月08日
間違った時はしょうがない
今日は3日目、最高の天気の中、歩いている途中だ。
昨日34番札所(種間寺)から出発して37キロの長い1日となる計画だった。
結構のハイスピードで35番に着いたときに周りの人に聞かれた。
「この不思議なマークは何ですか?」
僕のリュックの後ろに金属製のケルトの十字架があり、結構めずらしいものだから
注目されたのでしょう。
その説明をしてから36番(青龍寺)に向かって出発した。
青龍寺に着いたのが午後1時頃だった。
そこで休憩しようと思ったが、ちょっとひんやりだったので、民宿の場所へ向かっていった。
その時点から、計画では13キロだった。
3時間後に気がついた。
つまり、宿までに2つのお遍路の道があると気づいた。
計画ではそのうちの短い方を歩いている思い込みだった。
実際に歩いていたのは、もっと長い距離である、と気づいた時に少しショックを受けた。
どういうことかというと37キロの計画が40キロ以上の歩いたことになる。
そういう時に、人間は選択する。
「なんという馬鹿なことをしてしまったんだ、お前は。」
あるいは
「もっとしんどくなるなぁ。」
「どうして注意を払わなかったのか。」
などなどの批判的なモードを選択するか、それとも、もっと楽な選択である
「しょうがない」と言って、すべてが変わる。
だってしょうがないんだもん。
結果としては、その間違いで最高の太平洋の海岸の道で、ほとんど車が通らない
本当に美しい景色をみながらお遍路ができた。
それに今までの1日の自己ベストである約41キロを達成したことによって、
「長い1日」の定義が変わった。
5時半に暗くなる。
到着時間の7時までに素晴らしい星たちをみながら歩き続けた。
全ては導きだ。
全ては必然だ。

昨日34番札所(種間寺)から出発して37キロの長い1日となる計画だった。
結構のハイスピードで35番に着いたときに周りの人に聞かれた。
「この不思議なマークは何ですか?」
僕のリュックの後ろに金属製のケルトの十字架があり、結構めずらしいものだから
注目されたのでしょう。
その説明をしてから36番(青龍寺)に向かって出発した。
青龍寺に着いたのが午後1時頃だった。
そこで休憩しようと思ったが、ちょっとひんやりだったので、民宿の場所へ向かっていった。
その時点から、計画では13キロだった。
3時間後に気がついた。
つまり、宿までに2つのお遍路の道があると気づいた。
計画ではそのうちの短い方を歩いている思い込みだった。
実際に歩いていたのは、もっと長い距離である、と気づいた時に少しショックを受けた。
どういうことかというと37キロの計画が40キロ以上の歩いたことになる。
そういう時に、人間は選択する。
「なんという馬鹿なことをしてしまったんだ、お前は。」
あるいは
「もっとしんどくなるなぁ。」
「どうして注意を払わなかったのか。」
などなどの批判的なモードを選択するか、それとも、もっと楽な選択である
「しょうがない」と言って、すべてが変わる。
だってしょうがないんだもん。
結果としては、その間違いで最高の太平洋の海岸の道で、ほとんど車が通らない
本当に美しい景色をみながらお遍路ができた。
それに今までの1日の自己ベストである約41キロを達成したことによって、
「長い1日」の定義が変わった。
5時半に暗くなる。
到着時間の7時までに素晴らしい星たちをみながら歩き続けた。
全ては導きだ。
全ては必然だ。

Posted by エハン at 09:26
│お遍路の日記
この記事へのコメント
【間違った時はしょうがない】
エハンさん。 その通りですね。
毎日を「今日が人生の出発」と思いながら、
リセットするようにしています。
過去は教訓としてのみ残し、
新しい出発は新鮮なものでありたいですね。
エハンさん。 その通りですね。
毎日を「今日が人生の出発」と思いながら、
リセットするようにしています。
過去は教訓としてのみ残し、
新しい出発は新鮮なものでありたいですね。
Posted by ウルトラマン at 2006年11月09日 09:34