2006年08月18日

宮古島の儀式、四国の儀式

今まで12回以上、宮古で行った儀式のイメージを見ましょう:

宮古島の儀式、四国の儀式

宮古島の洞窟内の儀式で、いらないエネルギーを火に捨てる・・

宮古島の儀式、四国の儀式

宮古島の中心である石庭の儀式で、地元の自然精霊にコンタクト、挨拶

宮古島の儀式、四国の儀式

太陽の儀式:日暮れ寸前の儀式で、雲の後ろから太陽が出た・・??

宮古島の儀式、四国の儀式



儀式の意識によって「現実」が変わる・・
今日の儀式の場は:これは鶴林寺への途中の風景です。今日は台風が接近中です。22番札所が今日の目的地です。
宮古島の儀式、四国の儀式


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Posted by エハン at 11:01 │お遍路の日記
この記事へのコメント
エハンさん、私は霊能者の友人と実際に儀式によって浄霊をおこなうレイキマスターの友人がいますので、私自身はまったく儀式を行いませんが、儀式がどういうものであるか、本の少しではありますが知っております。

確かに儀式=Artであると思います。しかしまた、儀式を甘く見ては決していけない。儀式とは、ある程度の修行を積むか、霊能力をもつか、または伝授者とともに行うか、素人がいきなりやってはいけないものだと、私の友人たちは声を大きくして言っています。
自然霊に運よく繋がればいいけれども、地縛霊に繋がってしまうことがないとも言えない。

エハンさんのブログにやってきた人が、面白そうだからやってみようと簡単に始めてしまったとしたら、そして万が一危険な目にあったとしたら、エハンさんはその責任をどうおとりになるのでしょうか。

たとえば日本でよくやられている「こっくりさん」、この儀式の危険さはみんな良く知っていらっしゃるはず、エハンさんが書かれている儀式がまったく違うとは言えないのではないでしょうか。また、「こっくりさん」にしてもちゃんとした儀式として伝授者が行えば「Art」な儀式のひとつであるとも思います。

儀式とはすばらしく、また一歩間違うと恐ろしいものだということも、書き加えていただきたいと思いました。
Posted by 夏羽 at 2006年08月18日 23:23
Deep in the sea there are riches beyond compare
But if it is safety you seek
Then stay on the shore・・・
Posted by echan at 2006年08月20日 11:43
私は一度九州の海で、岩場を泳いでいたときに波に打たれて全身打撲し、一瞬ですが死ぬかと思ったことがあります。地中海では波に押されていたのに気づかずに沖まで泳いでいって、いざ引き換えそうとしたとき全然進まなく、一瞬総毛立ちましたが、斜めに泳いで何とか岸に帰り着きました。

二回とももちろん私の不注意から危険な目にあいました。
海は優しくすばらしいものであるけれども、海を経験するためには、それなりの知識と体力、それから観察力が不可欠なものでありましょう。

船のこぎ方を知らない人は、無謀に海に漕ぎ出して行ったりしませんよね。

霊的な世界もやはりそうではないですか。霊や宇宙人とコンタクトをとる、霊的な神秘の世界に漕ぎ出していくためには、それなりの知識と観察力、そして訓練、修行のようなものが必要ではないでしょうか。生まれつきそれらを備えた人もいるかもしれませんが。たとえば魚は泳ぎを習う必要もなく、海に住んでいるわけです。霊的世界のかってを知らない人がいきなりそこへ入っていくのは、泳ぎを知らない人が海に入っていくようなものではありませんか。

このことについて、一言でもいいから、エハンさんが書き加えていただけたらと願います。海で、霊界で事故が起こらないように。

友人の霊能者は霊の邪魔をしてはいけない、と言っていました。彼女は霊が彼女にコンタクトをとってきたときには応答するけれども、彼女からコンタクトを取るということはないそうです。

私は今いわゆる流行のチャネリングも、危険を伴うのではないかと危惧しています。次元の扉を超えることはすばらしいことであるけれども、そこにはやはり自然の法則のようなものがあり、調和を乱さない、ハーモニアスであるということは、何よりも大事ではないかと思うのです。
Posted by 夏羽 at 2006年08月23日 21:02