2010年03月13日
地球巡礼者─アースピルグリム─(3)人類が過ち、失ったもの
こんにちは、YOU are EARTHの篠崎です。
今回の(3)は前回までの章と違って、私達に直接的に関わる問題がテーマになっています。
いわゆる「社会問題」であり「経済問題」。
しかし、これを精神性や意識と切り離して考えることは間違いです。何故なら目に見える現実は、意識の結果の現れでしかないからです。
逆に言えば、私達の意識が変わらない限り「悲惨な現実は、いつまでも続いてしまうことになる」のでしょう。
「ナショナル・ジオ・グラフィック番組」などでも有名な人類学者ウェイド・デイヴィスは、90年代初頭から現在まで続いている経済不況について、このように説明しています。
「金融市場の破綻の原因は、90年代前半にMITの大学院生の案を採用したことでした。(中略)金融破綻の根源は、住宅ローンや借金に、保険をかけるという考えです。
会社が返済を保証するので、どんどん借金ができるのです。それを続ければ、借金は膨らんでいきます。突然、お金を手軽に借りられるようになったのです。返済が滞らないことを前提として行われていたことですが、返済できなければシステムは破綻します。
例えばひとつ例をあげると、ある保険会社が不動産そのものではなく、借金の保証をするとします。家が全焼したら保険会社は、損害を補填します。しかし保証する借金の額が膨らめば、システム全体が崩壊します。それが現状なのです」
今では人体の保険だけでなく、様々なものにつけられるようになった「保険制度」。
これが一番最初に登場したのは、中世ヨーロッパ時代──キリスト教絶世の頃でした。その頃はいわゆる「相互扶助」の意識のもとに誕生したものが、様々な改正を加えられるうちに、現代の保険制度へと変わっていったのでしょう。
お金は「目に見えます」。手にもすることが出来ます。
でも、その全体システムは、誰の目にも見えません。だからこそ、手探りで方策を練らねばならないのでしょう。
それこそが、映画の中でも語られていたグローバル的な病。その根源の要因を探らない限り、治療は出来ない──。その通りなのかもしれません。
また、物理学者のナシム・ハラメインはこう言います。
「この事態を引き起こしたのは私達人間なのです」と。「宇宙空間に破壊的行為を投げかけたのだから」。
確かにそうですね。
それは、日本もよく分かっているはずです。広島と長崎に落とされた原爆──未だに、被爆者の人達は存在し、その影響は新たに生まれる生命まで影響しているのです。
それは人間だけが被害者なのでしょうか?
いいえ。原爆が落とされたことで──どこかの海で核ミサイル実験が起こることで、そこにいる全生命が命を奪われ、生態系のすべてが崩されているのです。
そうしたのは、一体誰でしょう?
「どこぞの国のおえらいさん」だけではありません。
「自分は一市民だから関係ない」そんなふうに思ってしまう視点──世の中の悲劇を「他人事」として捉えてしまう「視点」──そうした「無関心」こそが、今、こうした問題を引き起こしているのだと、私にはそう思えます。
この世に生きている以上、誰もが幸福になる権利があります。
でも、それと同時に、「誰かが理不尽な差別を強要され、幸福を享受出来ないのだとしたら、その責任は自分にもあるのだ」と──私は、いつもそう思っています。
社会を壊したのは、地球を痛めつけたのは──誰でもない。
「私達なのだ」と──。
だからこそ、私達は今「自分達がした行為」として、様々な問題と対峙する結果となっているのでしょう。
ナシム・ハラメインはこう結んでいます。
「私たちは、気づかなければなりません。『これは、望んでいた世界ではない』と。そして、自然との調和のため行動を起こすのです。互いに支え合えば、事態はすぐに快方へ向かうことでしょう」と。
サティシュ・クマールも、このように言っていました。
「経済よりも環境を優先すべきです。それができなければ、最低でも環境と経済は、同等に扱うべきです。
経済だけではバランスが取れません。社会のバランスが崩れているのは、環境を理解していないからです。
私たちが作り上げた経済システムは、混乱や地球温暖化、世界規模の飢餓や貧困を引き起こし、人々の心を疲弊させ、人間の幸福を奪いました。これが経済と環境を切り離してきた結果なのです。」
こうした生活が、結果的に「人間への心理的負担」に繋がっています。
便利さ、合理性は、私達に何を与えてくれたのでしょうか?
「所有で幸せは得られない。欲望のままに消費する生活からは、不幸しか生まれません。
現実に目を向ければ、すぐに分かります。ここ2~300年で築き上げた生活様式は、好ましい結果をもたらさなかったと。
世界を再設計するためには、意識改革が必要なのです。
私達が想像力や精神性を重んじることの重要性に気づけば、世界を変えることは可能です。(中略)必要性と調和を基に、世界を再設計するべきです」
私達はとても重大な時代に生まれ、重大な歴史を見、重大な決断を迫られている──。
そう感じた方は、決して少なくないはずです。
DVD「地球巡礼者」絶賛発売中。(すでにお持ちの方は、これからの解説も踏まえて視聴して頂けましたら幸甚です。何度みても必要なメッセージが、この中に含まれている──私はそう感じました。)
エハン・デラヴィ最期のトークイベントも受付中です。
17年間の研究成果すべてを聞けるラストチャンスです。
今回の(3)は前回までの章と違って、私達に直接的に関わる問題がテーマになっています。
いわゆる「社会問題」であり「経済問題」。
しかし、これを精神性や意識と切り離して考えることは間違いです。何故なら目に見える現実は、意識の結果の現れでしかないからです。
逆に言えば、私達の意識が変わらない限り「悲惨な現実は、いつまでも続いてしまうことになる」のでしょう。
「ナショナル・ジオ・グラフィック番組」などでも有名な人類学者ウェイド・デイヴィスは、90年代初頭から現在まで続いている経済不況について、このように説明しています。
「金融市場の破綻の原因は、90年代前半にMITの大学院生の案を採用したことでした。(中略)金融破綻の根源は、住宅ローンや借金に、保険をかけるという考えです。
会社が返済を保証するので、どんどん借金ができるのです。それを続ければ、借金は膨らんでいきます。突然、お金を手軽に借りられるようになったのです。返済が滞らないことを前提として行われていたことですが、返済できなければシステムは破綻します。
例えばひとつ例をあげると、ある保険会社が不動産そのものではなく、借金の保証をするとします。家が全焼したら保険会社は、損害を補填します。しかし保証する借金の額が膨らめば、システム全体が崩壊します。それが現状なのです」
今では人体の保険だけでなく、様々なものにつけられるようになった「保険制度」。
これが一番最初に登場したのは、中世ヨーロッパ時代──キリスト教絶世の頃でした。その頃はいわゆる「相互扶助」の意識のもとに誕生したものが、様々な改正を加えられるうちに、現代の保険制度へと変わっていったのでしょう。
お金は「目に見えます」。手にもすることが出来ます。
でも、その全体システムは、誰の目にも見えません。だからこそ、手探りで方策を練らねばならないのでしょう。
それこそが、映画の中でも語られていたグローバル的な病。その根源の要因を探らない限り、治療は出来ない──。その通りなのかもしれません。
また、物理学者のナシム・ハラメインはこう言います。
「この事態を引き起こしたのは私達人間なのです」と。「宇宙空間に破壊的行為を投げかけたのだから」。
確かにそうですね。
それは、日本もよく分かっているはずです。広島と長崎に落とされた原爆──未だに、被爆者の人達は存在し、その影響は新たに生まれる生命まで影響しているのです。
それは人間だけが被害者なのでしょうか?
いいえ。原爆が落とされたことで──どこかの海で核ミサイル実験が起こることで、そこにいる全生命が命を奪われ、生態系のすべてが崩されているのです。
そうしたのは、一体誰でしょう?
「どこぞの国のおえらいさん」だけではありません。
「自分は一市民だから関係ない」そんなふうに思ってしまう視点──世の中の悲劇を「他人事」として捉えてしまう「視点」──そうした「無関心」こそが、今、こうした問題を引き起こしているのだと、私にはそう思えます。
この世に生きている以上、誰もが幸福になる権利があります。
でも、それと同時に、「誰かが理不尽な差別を強要され、幸福を享受出来ないのだとしたら、その責任は自分にもあるのだ」と──私は、いつもそう思っています。
社会を壊したのは、地球を痛めつけたのは──誰でもない。
「私達なのだ」と──。
だからこそ、私達は今「自分達がした行為」として、様々な問題と対峙する結果となっているのでしょう。
ナシム・ハラメインはこう結んでいます。
「私たちは、気づかなければなりません。『これは、望んでいた世界ではない』と。そして、自然との調和のため行動を起こすのです。互いに支え合えば、事態はすぐに快方へ向かうことでしょう」と。
サティシュ・クマールも、このように言っていました。
「経済よりも環境を優先すべきです。それができなければ、最低でも環境と経済は、同等に扱うべきです。
経済だけではバランスが取れません。社会のバランスが崩れているのは、環境を理解していないからです。
私たちが作り上げた経済システムは、混乱や地球温暖化、世界規模の飢餓や貧困を引き起こし、人々の心を疲弊させ、人間の幸福を奪いました。これが経済と環境を切り離してきた結果なのです。」
こうした生活が、結果的に「人間への心理的負担」に繋がっています。
便利さ、合理性は、私達に何を与えてくれたのでしょうか?
「所有で幸せは得られない。欲望のままに消費する生活からは、不幸しか生まれません。
現実に目を向ければ、すぐに分かります。ここ2~300年で築き上げた生活様式は、好ましい結果をもたらさなかったと。
世界を再設計するためには、意識改革が必要なのです。
私達が想像力や精神性を重んじることの重要性に気づけば、世界を変えることは可能です。(中略)必要性と調和を基に、世界を再設計するべきです」
私達はとても重大な時代に生まれ、重大な歴史を見、重大な決断を迫られている──。
そう感じた方は、決して少なくないはずです。
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Posted by エハン at
16:06