2010年03月28日
地球巡礼者─アースピルグリム─(最終章)旅路の果てに
私たち人類は、今や過渡期に来ています。
文明の発達、技術の進歩は人類にとって飛躍を与えた反面、私たちの心から自然の恩恵を忘れさせるという、両者の選択を強いました。その結果、文明だけに心を奪われてしまった人はシステムの歯車に組み込まれていることそのものを疑問に思わず、また反対に、システムに疑問を持つものは社会から追い出されアウトローになるという、二つの図式が出来上がってしまったのでしょう。
アウトローの道、これこそが「巡礼者の道」とも言うべきものかもしれません。
サティシュ・クマールは、こう語っています。
「今の状況を嘆き、悲観しても、まったく意味がありません。システムは悪化しているのではなく、崩壊しているのです。
心配したり悲しまないで、システムの崩壊を喜びましょう。なるがままに任せておけばいいのです。私たちは新しい制度を生み出す助産師の役割を果たし、新しい農業、工芸、教育を作らねばなりません。そうすれば物を搾取し無駄使いする二元主義的なパラダイムが崩壊した時でも、道を見失い途方にくれることはありません。新しい手本を作り出すために努力しなければなりません」
現在のシステムは、二元論から出来ています。
勝者、敗者──組織か、個人か。どんなに会社の為と思って尽くしても、いざ利益を追求する為になら平気でその人を解雇する。強い者だけが生き延びて、弱い者は朽ち果てるのが当然だと思っている忌々しい社会を作ってしまったのは、他ならない「私たち人類」なのです。
人類が生み出した社会の責任を負うのは、やはり同じ人類である自分たちでしかない。
ダーウィンの進化論から派生するような社会システムに準じるのではなく、「互いに助け合って進化していくシステム」を、私たちは今こそ考えなければならない時に来ているのです。
ウェイド・デイヴィスも、同じように言っています。
「皆さんに知って頂きたい。本質的に人間は同じです。世界観が人間の可能性を、著しく狭めてきただけなのです。その結果、利点もあると同時に欠点も生み出しました。しかし、私たちが歩んでいる崩壊への道を閉じるために、1つだけ方法が残されています。
それは、この歴史の流れを変えるために、私たちの思考力と知的創造力を発揮することです」
「人間は考える葦である」──有名なパスカルの言葉です。
しかし、私たちは今や「考える」ということさえも放棄して、言われるがままに生きて来てしまいました。パスカルに言わせればそれは、「人間でさえもない」ということになってしまいます。
教養の有・無はいっさい関係ありません。考えることは、誰にだって出来ることです。思考力も知的創造力も、誰かひとり特別に与えられた能力ではなく「誰もにみな、平等に与えられた力」だと、私は確信しています。あとは、それを如何に使いこなすか──自分で努力し、工夫するだけの話なのだと、そう思えるのです。
何故、そう言えるのか──それは、「私たちは誰ひとりとして例外なく、この地球、この宇宙から誕生した存在だから」です。
宇宙が創造主であり、地球が母ならば、その子供である私たち人類にも同じように「創造する力が平等に与えられている」と、そう思えるからです。
「後世の人々に1つだけ伝えられるとしたら、人間は決してこの宇宙で孤立した存在ではない。そして宇宙にあるすべてのものにつながっていることを伝えます」
ナシーム・ハラメインの言葉は、非常に印象的です。
現在、私は「電気的宇宙論」を読んでいる最中なのですが、そこにはナシームの言葉を物理学的に証明するようなことが書かれていました。
「極小の粒子から巨大な銀河まで、電気回路網が自然界のすべてを接続し、統合しているのである。この電気回路網は銀河を組織し、恒星にエネルギーを供給し、惑星を誕生させ、地球の天気を支配し、生物に命を吹き込んでいる。『電気的宇宙(エレクトリックユニバース)』には孤立した島はない」(電気的宇宙論 徳間書店・刊 P23より引用)
ナシーム・ハラメインは、以下のように続けています。
「私たちは大宇宙と小宇宙をつなぐ役割を担い、微粒子と宇宙規模のものをつないでいます。人類は自然の歯車の中にいて、宇宙に影響を与えます。一方、宇宙はこの驚くべき情報の無限ループの中で人類に影響を与えているのです。そう考えると、自分の力や宇宙とのつながりを感じる必要があります。そしてこの力とのつながりを、技術や科学の理解に応用し、世界を変えていかなければなりません」
この世界に生きる多くの人が、「今、時代は変容の時を迎えている」そう感じていることでしょう。日本で生活する人達の中にも「これから先、どうなるのだろう」と不安を抱えている人だって少なくないでしょう。
そういった現象を、中には「2012年のような予言があるから、人々が不安を抱えるんだ」という責任転嫁をする人もいるかもしれません。しかしそれは逆説でしかなく、「人々が不安を抱えるような時代になっているからこそ、2012年にみなが注目するのだ」という構造をはき違えてはいけない──そう思うのです。
その証拠に、1999年ノストラダムスの比にならないぐらい、2012年の注目度は高いです。それはただの興味本位や好奇心ではなく、「今、確かに時代は変わろうとしている。その時自分たちには、何が出来るのだろう」ということを知りたいと願う人達が大勢いることの証明に値すると、私には思えるのです。
では、どうしてこのような難しい時代を、私たちは選んで生まれてきたのでしょうか?
それには必ず「理由」があるはずです。その理由について、グラハム・ハンコックはこう述べています。
「なぜ私たちは立ち上がるべきなのでしょうか?
それは学び、そして、成長するためです。プロセスを経た後、学ぶ前よりも、より良く進化した人間になっていることを願ってね。
研究をしてきて私が発見したことは、内なる旅が存在することです。巡礼のプロセスの一部でもあり、私たちが追求すべきことです」
私たちがこのような難しい時代──新たな世界を模索する為の時代に生まれている理由は、他の何でもない。私たちが、その「道」を選んだから。
目的地がどこにあるのか──それは、分かりません。きっとそれは、人それぞれ異なるのでしょう。
明確に言えることは、私たちが各の目的地を目指す為に、巡礼の道として「この地球」を選び、「この時代」を選んで、今、存在するという事実だけです。
巡礼は、何も世界各地本当に歩き廻ることだけではない。こうして「生きている」だけで、充分私たちは「巡礼者」なのでしょう。
ピース・ピルグリムが、素晴らしい言葉を残しています。
「確かに現代社会は今恐ろしい状況になっていて、あちこちに問題がありすぎて間近で暴力が起きていてもわからないのです。
世界の闇は聖なる愛の法則に反することから生じています。しかし、これが嵐の前の絶望的な暗闇だとはいわないで、逆にプロセスを信じましょう!
これは想像を絶する平和の黄金時の夜明け前の暗さにすぎない! それに向かって互いに願い、働きかけ、祈りましょう!」
私たちはどのようにして、この巡礼の旅を終わらせるのでしょうか?
どんなに不毛に思える日も、どんなに苦痛に感じた時間も、通り過ぎてみればただの一風景となってしまいます。あたかもそれは、旅路の途中で出逢った暴風や吹雪のように。
そこを乗り越えて辿り着いた新天地は、一体どのようなものなのでしょうか?
想像しても、今の私たちにはまだ予測出来ないものかもしれません。ただひたすら、新天地を目指して歩いていく──私たちに残された唯一の希望は、ひたすら「歩く」ということだけなのかもしれません。
それが、巡礼者の在り方なのだろう──と。
ルーミーの詩が、辛い旅路を続ける私たちに、こう語りかけています。
生まれるのを怖がる胎児のように
そこに閉じこもっているきみ こっちに出ておいでよ
あのね 母親のお腹のなかの子だって 出て行くときがくるんだ
それが自然だからね
やがて自分で母乳をのみ 離乳期になったら固形食を摂り
いつかは知識を追い求めるようになり 目に見えない獲物を狩るようにもなる
それが自然だからね
だからもし胎盤のなかの子と話すことができるとしたら
誰だってこう言ってあげたくなるはずだ
あのね外の世界はね それはそれは広くてね とっても複雑なところなんだ
大地には小麦畑が広がっていて その先にはずうっと山並みが続いているのさ
果樹園には花々が咲き誇っていて 夜になると満天の星がきらきらと輝くんだ
太陽のもとでは きっと仲間たちが結婚式を祝って踊っているよ
それなのに きみはまだそこに閉じこもっているつもりなのかい
もう その暗闇から出ておいでよ
しかし まだ胎児のきみは きっとすまし顔をしてこう言うのかもしれないね
お言葉ですが この世にもっと素敵な別の世界があるなんて嘘でしょう
私が知っているこの世界が 世界のすべてでしょう
あなたこそ 幻でも見ているのじゃないのですか
旅路の果てに、あなたは何を見つけますか?
DVD「地球巡礼者」絶賛発売中。(すでにお持ちの方は、これからの解説も踏まえて視聴して頂けましたら幸甚です。何度みても必要なメッセージが、この中に含まれている──私はそう感じました。)
エハン・デラヴィ最期のトークイベントも受付中です。
17年間の研究成果すべてを聞けるラストチャンスです。

【参考文献】
YOU are EARTH 篠崎由羅
文明の発達、技術の進歩は人類にとって飛躍を与えた反面、私たちの心から自然の恩恵を忘れさせるという、両者の選択を強いました。その結果、文明だけに心を奪われてしまった人はシステムの歯車に組み込まれていることそのものを疑問に思わず、また反対に、システムに疑問を持つものは社会から追い出されアウトローになるという、二つの図式が出来上がってしまったのでしょう。
アウトローの道、これこそが「巡礼者の道」とも言うべきものかもしれません。
サティシュ・クマールは、こう語っています。
「今の状況を嘆き、悲観しても、まったく意味がありません。システムは悪化しているのではなく、崩壊しているのです。
心配したり悲しまないで、システムの崩壊を喜びましょう。なるがままに任せておけばいいのです。私たちは新しい制度を生み出す助産師の役割を果たし、新しい農業、工芸、教育を作らねばなりません。そうすれば物を搾取し無駄使いする二元主義的なパラダイムが崩壊した時でも、道を見失い途方にくれることはありません。新しい手本を作り出すために努力しなければなりません」
現在のシステムは、二元論から出来ています。
勝者、敗者──組織か、個人か。どんなに会社の為と思って尽くしても、いざ利益を追求する為になら平気でその人を解雇する。強い者だけが生き延びて、弱い者は朽ち果てるのが当然だと思っている忌々しい社会を作ってしまったのは、他ならない「私たち人類」なのです。
人類が生み出した社会の責任を負うのは、やはり同じ人類である自分たちでしかない。
ダーウィンの進化論から派生するような社会システムに準じるのではなく、「互いに助け合って進化していくシステム」を、私たちは今こそ考えなければならない時に来ているのです。
ウェイド・デイヴィスも、同じように言っています。
「皆さんに知って頂きたい。本質的に人間は同じです。世界観が人間の可能性を、著しく狭めてきただけなのです。その結果、利点もあると同時に欠点も生み出しました。しかし、私たちが歩んでいる崩壊への道を閉じるために、1つだけ方法が残されています。
それは、この歴史の流れを変えるために、私たちの思考力と知的創造力を発揮することです」
「人間は考える葦である」──有名なパスカルの言葉です。
しかし、私たちは今や「考える」ということさえも放棄して、言われるがままに生きて来てしまいました。パスカルに言わせればそれは、「人間でさえもない」ということになってしまいます。
教養の有・無はいっさい関係ありません。考えることは、誰にだって出来ることです。思考力も知的創造力も、誰かひとり特別に与えられた能力ではなく「誰もにみな、平等に与えられた力」だと、私は確信しています。あとは、それを如何に使いこなすか──自分で努力し、工夫するだけの話なのだと、そう思えるのです。
何故、そう言えるのか──それは、「私たちは誰ひとりとして例外なく、この地球、この宇宙から誕生した存在だから」です。
宇宙が創造主であり、地球が母ならば、その子供である私たち人類にも同じように「創造する力が平等に与えられている」と、そう思えるからです。
「後世の人々に1つだけ伝えられるとしたら、人間は決してこの宇宙で孤立した存在ではない。そして宇宙にあるすべてのものにつながっていることを伝えます」
ナシーム・ハラメインの言葉は、非常に印象的です。
現在、私は「電気的宇宙論」を読んでいる最中なのですが、そこにはナシームの言葉を物理学的に証明するようなことが書かれていました。
「極小の粒子から巨大な銀河まで、電気回路網が自然界のすべてを接続し、統合しているのである。この電気回路網は銀河を組織し、恒星にエネルギーを供給し、惑星を誕生させ、地球の天気を支配し、生物に命を吹き込んでいる。『電気的宇宙(エレクトリックユニバース)』には孤立した島はない」(電気的宇宙論 徳間書店・刊 P23より引用)
ナシーム・ハラメインは、以下のように続けています。
「私たちは大宇宙と小宇宙をつなぐ役割を担い、微粒子と宇宙規模のものをつないでいます。人類は自然の歯車の中にいて、宇宙に影響を与えます。一方、宇宙はこの驚くべき情報の無限ループの中で人類に影響を与えているのです。そう考えると、自分の力や宇宙とのつながりを感じる必要があります。そしてこの力とのつながりを、技術や科学の理解に応用し、世界を変えていかなければなりません」
この世界に生きる多くの人が、「今、時代は変容の時を迎えている」そう感じていることでしょう。日本で生活する人達の中にも「これから先、どうなるのだろう」と不安を抱えている人だって少なくないでしょう。
そういった現象を、中には「2012年のような予言があるから、人々が不安を抱えるんだ」という責任転嫁をする人もいるかもしれません。しかしそれは逆説でしかなく、「人々が不安を抱えるような時代になっているからこそ、2012年にみなが注目するのだ」という構造をはき違えてはいけない──そう思うのです。
その証拠に、1999年ノストラダムスの比にならないぐらい、2012年の注目度は高いです。それはただの興味本位や好奇心ではなく、「今、確かに時代は変わろうとしている。その時自分たちには、何が出来るのだろう」ということを知りたいと願う人達が大勢いることの証明に値すると、私には思えるのです。
では、どうしてこのような難しい時代を、私たちは選んで生まれてきたのでしょうか?
それには必ず「理由」があるはずです。その理由について、グラハム・ハンコックはこう述べています。
「なぜ私たちは立ち上がるべきなのでしょうか?
それは学び、そして、成長するためです。プロセスを経た後、学ぶ前よりも、より良く進化した人間になっていることを願ってね。
研究をしてきて私が発見したことは、内なる旅が存在することです。巡礼のプロセスの一部でもあり、私たちが追求すべきことです」
私たちがこのような難しい時代──新たな世界を模索する為の時代に生まれている理由は、他の何でもない。私たちが、その「道」を選んだから。
目的地がどこにあるのか──それは、分かりません。きっとそれは、人それぞれ異なるのでしょう。
明確に言えることは、私たちが各の目的地を目指す為に、巡礼の道として「この地球」を選び、「この時代」を選んで、今、存在するという事実だけです。
巡礼は、何も世界各地本当に歩き廻ることだけではない。こうして「生きている」だけで、充分私たちは「巡礼者」なのでしょう。
ピース・ピルグリムが、素晴らしい言葉を残しています。
「確かに現代社会は今恐ろしい状況になっていて、あちこちに問題がありすぎて間近で暴力が起きていてもわからないのです。
世界の闇は聖なる愛の法則に反することから生じています。しかし、これが嵐の前の絶望的な暗闇だとはいわないで、逆にプロセスを信じましょう!
これは想像を絶する平和の黄金時の夜明け前の暗さにすぎない! それに向かって互いに願い、働きかけ、祈りましょう!」
私たちはどのようにして、この巡礼の旅を終わらせるのでしょうか?
どんなに不毛に思える日も、どんなに苦痛に感じた時間も、通り過ぎてみればただの一風景となってしまいます。あたかもそれは、旅路の途中で出逢った暴風や吹雪のように。
そこを乗り越えて辿り着いた新天地は、一体どのようなものなのでしょうか?
想像しても、今の私たちにはまだ予測出来ないものかもしれません。ただひたすら、新天地を目指して歩いていく──私たちに残された唯一の希望は、ひたすら「歩く」ということだけなのかもしれません。
それが、巡礼者の在り方なのだろう──と。
ルーミーの詩が、辛い旅路を続ける私たちに、こう語りかけています。
生まれるのを怖がる胎児のように
そこに閉じこもっているきみ こっちに出ておいでよ
あのね 母親のお腹のなかの子だって 出て行くときがくるんだ
それが自然だからね
やがて自分で母乳をのみ 離乳期になったら固形食を摂り
いつかは知識を追い求めるようになり 目に見えない獲物を狩るようにもなる
それが自然だからね
だからもし胎盤のなかの子と話すことができるとしたら
誰だってこう言ってあげたくなるはずだ
あのね外の世界はね それはそれは広くてね とっても複雑なところなんだ
大地には小麦畑が広がっていて その先にはずうっと山並みが続いているのさ
果樹園には花々が咲き誇っていて 夜になると満天の星がきらきらと輝くんだ
太陽のもとでは きっと仲間たちが結婚式を祝って踊っているよ
それなのに きみはまだそこに閉じこもっているつもりなのかい
もう その暗闇から出ておいでよ
しかし まだ胎児のきみは きっとすまし顔をしてこう言うのかもしれないね
お言葉ですが この世にもっと素敵な別の世界があるなんて嘘でしょう
私が知っているこの世界が 世界のすべてでしょう
あなたこそ 幻でも見ているのじゃないのですか
旅路の果てに、あなたは何を見つけますか?
DVD「地球巡礼者」絶賛発売中。(すでにお持ちの方は、これからの解説も踏まえて視聴して頂けましたら幸甚です。何度みても必要なメッセージが、この中に含まれている──私はそう感じました。)

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【参考文献】
YOU are EARTH 篠崎由羅
Posted by エハン at
20:03