2009年06月26日
知的生命体との遭遇

2003年以降この三田に住み、だんだんここの自然に魅せられてきたのだ。日本の田舎はなかなかのもんだ。大好き。最近このエハンの肉体は重くなって(本を数冊書くために、じっとしすぎたせいではないか)57歳の誕生日までに77キロに戻ろうじゃないか!と。。
そのためによく自然の中で歩くパターン「あの巡礼の精神を忘れない!」になった。四国の巡礼を日常的にやろうと。。例えば毎日5キロでもいいから。
よって一人で歩くことが多くなり、歩きながら自然との「アイニ」、つまりペルーの先住民に学ばされた「総合依存関係」に注意を払う。そうすると自然も自分に注意を払ってくれる。
本当だぞ。実験すればすぐに確認が出来る話じゃ。
例えば家の近くに「弥生遺跡」があり、2年前に3度、狐に会った。このブログに確かにそれについて書いたはずだ。
最近は田圃の間に歩くと蛍一匹に出会い、大昔に僕の「空飛ぶ発光体」じゃないけれど、
「こち来い!」と心の中で叫ぶと、あの不思議な何者かが自分に向かって接近することがあった。田圃で実験した結果は、蛍の心に響いたかのように頭の真横に飛んできた。蛍の肉体の中心部に1センチぐらいの懐中電灯のような部分がはっきりと見えた。これが
「synchronicity」の働きではないかと思う。。
あの日にイタチも出た。そしてあの日に2年ぶりに日暮れのタイミングに、あの狐が再出現!やはり四国巡礼で体験した三回連続的に違う生命体に出会った。
同じ狐かどうかの確認が不可能だが、2年前に3回であったあの可愛い生命体ではないかと推測した。同じ大きな公園の中だから、色も大きさも大体同じだが。。どうなんだろうか
2年前のあの時に「お稲荷さんよ、出てこいよ!」と言った直後に狐さんが出たので、ひょっとして、僕の存在に何らかの「縁」を感じるかも知れないと思った。だって異種間コミュニケーションは僕にとっての大切な研究テーマで、イルカと泳ぎ、鳥との交信を試み、そして毎日愛猫と話をするぐらいだから。。
昨夜にシフト。。
痩せるために一時間のウオーク中の時だった。日暮れで、誰もいない美味しい時間だった。魔法の扉が開くタイミングだとケルトの祖先が言う。。
気になったのはあの狐。なんと2週間前にソニアと歩いたときにあの狐さんが目の前に再び歩いてきた。ソニアは驚いた。犬と散歩したある女性も100mしか離れていない狐を私たちが見せたら「うわあ!犬じゃないと思ったが本当に狐だわ」と興奮した。現代人はほとんど知らない生命体だからね。
昨夜
歩いている
あの狐はひょっとしたらこの深田公園内に生活しているじゃないのかな?と思った。
しかしそうなると野生の生活に比べれば虜域は狭いだろうし、多分一人で生活しているなんだね、と感じた
そうすると突然奇妙な寂しさがやってきた。
あの狐さんはひょっとして、すごく寂しいだから2週間前にも2年前にもわざと目の前に現れたかも。。
寂しい気持ちだった
じゃ心の中であの狐に声をかけようじゃないか
10分間、歩きながら「俺はお前のことが好き、お前はすごく可愛いよ、一人ぼちじゃないよ
と。。
8時前のことだった
左から僕の真前に100mぐらいの距離間を保って、あの狐が現れた
100m先のまだ薄暗い場所にぐるぐると回って、逃げずに。。
僕は声を低くして話をした、心の中で言った続きを表現した
お前はひとりぼっちじゃないよ、俺がいるから、お前は可愛い、大好きだ。。と
そして木の間に消えて行った
「何と、俺はあの生命体を呼んだ!嬉しい!テレパシは本当にあるのだ!」と、子供のように嬉しかった。
階段の上に上り、家に向かうようにしたら階段の右100mに狐さんが待っていたのだ。
もう寂しくないだろう、あの狐さん
友達が出来たからではないか?
人間も動物も、全大自然も、地球も太陽系も、銀河系も、大宇宙も、それから無数の次元も
常に、この瞬間に、繋がっているのだ。それを「知る」ことがこれからの使命ではないか?