2007年12月30日

3Kの話

3Kの話

断っちゃいけないのだ。ありがたくいただく。素直に、ありがとうございますと僕は頭を下げた。
東京や大阪の人よ、信じられまっか? 現代に生きている、同じ日本人ですよ。

明と暗。温かい人情と厳しい現実。僕は、真夏の道を歩きながら、さらに暗いエネルギーの波動を
感じるようになっていた。それは、宿で顔を合わせたり、お寺で見かけるお遍路さんたちからも伝
わってきた。

それぞれの人生で、本当に厳しい体験をしてきている人が多い。それをはっきり感じるようになった。きっと悲しいことがあったのだろうな。何か具体的に聞かなくても、わかることだった。
暗いのは当たり前だった。そうでなければ、誰が好きこのんで、つらい歩き遍路なんかするか? 
みんな人生の3Kの壁にぶち当たっている。すなわち、済問題、康問題、そして親子夫婦などの係性の問題。この3Kにぶつからない人はいないのだ。

あとで詳しく話そうと思うけれど、僕の3Kは厄年にいっぺんにやってきた。もう身動き取れない状態だった。誰にとっても、この3Kは人生のテスト、試練なんだね。それも絶対にスルーできないテストだ。だからこそ、お遍路で修行しようということになる。一年がかりでお遍路すれば、それは一年がかりの意識変革になる。これは間違いないことだ。お遍路やった人ならわかるはずだ。

3Kの話

それにしても、本州とはまったく別の次元に来たようだった。四国は、まさに4つの国だった。歩きとおしてからわかったことだけれど、それぞれ雰囲気がまったく違う。

徳島県は、どこかルーズで陰気な感じがしたが、高知県に入ると、すっかり南国だった。日本ではなく、どこか東南アジアの国みたいな雰囲気を感じた。タイ人が歩いてても、おかしくないと思った。気候、風景、光の強さ。漢字の標識さえなければ、日本じゃないみたいだった。僕は、こんな身近に外国みたいな地方があったのかと、ハッピーな気分だった。

しかし、その反面、めちゃめちゃハードな修行の波動も立ち込めていた。暗く厳しい雰囲気、孤独感、男性性の極み。特に、23番薬王寺から24番室戸岬最御崎寺にかけてのルートは、全札所間の距離が2番目に長く、75キロを越える行程である。お遍路する人たちの間でも、特に厳しい難所として有名だ。

僕は、お遍路道自体から伝わってくる暗くて重い波動を感じていた。当然でしょう。今まで何千万人もの人が、何百年もの間、つらい事情と心を抱えて歩いた道だ。挫折、失望、離婚、病気、破産。乞食遍路とかハンセン病の人とか、お遍路でしか生きられない人もいたでしょう。それを思うと、さらに、濃くてヘビーでダークな場所に来ているという実感が湧いてきたのだった。辛かったね、皆さん。

ちなみに、高知を抜けると、一気に女性的で優しい国になる。文字通り、愛媛県は自然も豊かで暖かい国だ。最後の香川県は、あまり強い印象はない。フラットで平坦な土地が広がっている。この4つの国を比べて、日本の意識革命が高知で始まったのが、腑に落ちる気がした。密教の世界に聳え立つ空海。いかめしく孤高で、容易には人を寄せ付けない空海は、巨像となって、まさに高知県室戸岬に立っている。

しかし、この室戸岬はまだ遠い。残暑厳しい9月、僕は高知県に入ったばかりだった。ある男と遭遇するまでは、まだまだ元気だったのだ。




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Posted by エハン at 09:49 │Autobiography