2008年01月12日

京都への遍路

京都への遍路

独り、時間が止まったような田舎を歩きながら、僕は日本に来た32年前のことを思い出していた。
20歳のころ、独りでアフリカ縦断ヒッチハイクを終えたあと、次に行く先は日本だと決めていた。1974年9月、僕は友だちと二人、片道航空券を手に羽田空港に降り立った。まだ成田空港は出来ていなかった。もちろん、ヒッピースタイルだ。憧れの日本に行くなら、黄色いダンガリーズ(ワークパンツ)に、中はふんどしを穿いていた。所持金は1万円ぽっきり。日本語もほとんどできないけれど、行けばなんとかなるというのが僕の信条だったから、心配はしなかった。

ところが、税関が立ちはだかった。片道航空券しかない者は入国できないと、完璧にシャットアウトしてきたのだ。なんで?と思ったが、税関の係官は頑として応じない。英語と日本語、話は通じないし、押し問答の末、ついに係官はついに航空会社の人間を呼びつけた。僕たちの存在を航空会社に押し付けたんだね。どうにかせい、こっちの責任じゃないと。航空会社の担当者も困りきった様子だった。
友だちは、おろおろしはじめた。3年半インドで瞑想ばっかりやっていて、いざというとき何の役にも立たない男だった。まったくしょうがない、でも何とかしないといけない。こういうとき、想像力が豊かになる。旅の経験がなければ、諦めちゃうでしょ、普通は。

パッと閃いた。要するに、話は単純だ。この税関さんは切符が見たいのだ。僕は航空会社の責任者に言った。

「今ここで切符作ってくださいよ。税関を通ったらすぐに返すから、損しないでしょ」
二人とも、すぐに理解した。即席のホノルル行きの切符で2ヶ月のビザを発給してくれた。
で、空港の外に出て驚いた。日本人のファッションセンスの高いこと。これはまったく予想外だった。僕たちは、いわゆる日本人らしい東洋的な服装で生活しているとばかり思い込んでいた。それなのに、男たちはスーツ着てる! 僕たちの格好のほうがズレていた。しかし、東京は目的地じゃない。すなわち、京都こそ最終目的地だった。当時のヒッピートラベラーの間では、カトマンズの次に来るポイントは京都だというのがもっぱらの噂だった。

京都に行けば、禅寺もある。東洋の伝統文化もある。いってみれば、京都は聖地だったんだね。一刻も早く東京を離れて、京都に向かうことにした。それが日本で最初のヒッチハイクだった。
でも最高に弱った。日本じゃヒッチハイクなんて誰もしないから、みんなすごい親切で食事もおごってくれるんだね。こっちは所持金百円ですよ。だけど、誰も疑わないで京都まで連れて行ってくれた。
 
京都最初の夜は、東本願寺の門前だった。日中の残暑の名残で暖かかった。ぐっすり寝た翌朝、僕たちが寝ているそばを、誰一人気にすることもなく歩いているではないか。邪魔する人もいなければ、逮捕もされない。僕は心底驚いた。こんな寛容な国があるんか……。すっかり幸せな気持ちで、大徳寺まで歩いた。結構な距離だった。金もない、食べるものもない。空腹は限界に達していた。


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Posted by エハン at 07:23 │Autobiography