2007年11月05日
お遍路をするようになるお話
僕はこのエピソードを聞いたとき、とても心を動かされた。彼女は、ホントの信仰を持っていたと。
この女性は、死ぬための理由を確かに持っているんだと。
生きるための理由なら、誰でも、いくらでも見つけられる。でも、みんな死ぬための理由は持って
いない。
自分は何のために死んでいくのか。放浪のなかで、僕が考えていたことは、おそらく、「死ぬため
の理由」だった。もちろん、無意識だったけれど、冒険し続け、放浪し続け、限界までテストされる
ことは、たぶん僕の魂が本当に求めていたことだったのだ。極端な体験をしなければ、奇跡はわ
からないと思う。
だから、スコットランドに戻っても、大自然のなかで働くことを選択した。庭師とかダイバーとか肉体
労働だね。でも、また旅に出たくなる。スコットランドは暗い、つまらない、鬱陶しい、また旅し
なくちゃーって叫んだ。

鈴木大拙老師
その頃読んでいたのは、鈴木大拙の禅の本だった。今まで出会った哲学や宗教と違って、
ものすごくピュアなものを感じた。毎日、禅仏教の本を読みふけった。こんなシンプルな哲学が
あるんか、すごい閃きだった。
〝もう絶対、日本に行かなくちゃ駄目でしょ〟
アバディーンの植木屋で汗まみれで働き、自然の風に吹かれながら、19歳の僕は決意していた。
それから、36年。ヒッチハイクでインドにも3回旅したし、アフリカ縦断もした。南米にも何度も
行った。プロローグでも書いたけれど、バブルまでの15年間、日本に住み、ビジネスで成功もした。
そして、2006年7月11日の朝、僕は四国お遍路の旅に出ようとしていた。
日本に再び住み始めて6年目、54歳になっていた。3人の子供は独立し、妻も仕事をしている。
会社を立ち上げ、本を執筆し、呼ばれれば講演をする日々だった。物質的にはなんの問題もない。
けれど、僕には追究したい、いや追究しなくてはいけない謎があった。
それは、3歳のときの不思議な記憶。ごく庶民的なアパートメントの5階に住んでいた僕は、洗い
場がある中庭にひとりでよちよちと下りていった。ワックスで磨かれたリノリウムの床、階段を下りる
自分の足先。いまでも鮮明に覚えている。3歳の自分を、外から見ている自分がいるようだった。

異次元体験をした故郷の団地 (黄色ピンの前の庭に今でも白い洗濯物)
と、突然、目の前の世界が輝きだした。信じられないくらいの光があふれていた。
〝すごい綺麗だ!〟 そう思った瞬間、2000フィート上空に意識が飛んだ。遥か下に自分がいる
のが見えた。視点が3つに増え、多次元になっていた。3歳のときにこんなふうに言語化できた
わけじゃないけれど、それは物質的な風景ではなく、まさに天国にシフトした感覚だった。
「この光は、いったい何?」家族に聞いても、どんなに書物を調べても、わからなかった。これこそ、
僕の人生の原点にある謎だったのだ。
そしてもう一つ謎がある。僕の頭の中枢では、ある音が鳴り続けている。時折、強く高くなる不快
な音。電気的な音とでも表現するしかない不気味な音。耳鳴りとは違う。12歳から突然鳴り始
めたこの音は、医学的には解明も治療もできなかった。この厄介者とは40年以上付き合ってきた。
ホントよく気が狂わなかったね、と思う。
50歳を過ぎて、この音が少しずつ高くなってきている。どうなるか、受け入れるしかないけれど、
動かずにじっとしていると、ひどくなるのだ。何を意味しているのか、いつか消えるのか、まったくわ
からない。でも、少なくとも僕に与えられたギフトだと考えることにしている。だって、この音は僕に
とっての十字架かもしれないじゃない? だったら、受け入れるしかないよね。たぶん、誰しもがそ
ういう何かを背負っているんじゃないかと思うのだ。
僕は、自分に問いかけた。「何のためにお遍路するんや?」と。
答えはすぐに返ってきた。
「ハートを、魂をクリーニングするためでしょ。そのために歩く」
それしかないのだ。日本には、「洗心」という言葉がある。まさに心のクリーニングだ。歩くことは、
肉体的な鍛錬ではなく、きわめて精神的な問題なのだ。それも、日本最大の聖地をゆく巡礼だ。
巡礼と言っても、仏教とかキリスト教とか、特定の宗派は関係ない。
僕にとっての巡礼とは、「目的意識を明確に持って、祈りながら歩くこと」であり、「歩きながら祈ること」である。
ならば、なぜ日本の四国なのか? それは、まさしく歩きながらお話しましょう。次章からは、
僕の歩き遍路の旅を話しつつ、僕自身が体験してきた人生の神秘についても語っていこうと思う。
さあ、行きますよー。歩く祈りの始まりだ!
この女性は、死ぬための理由を確かに持っているんだと。
生きるための理由なら、誰でも、いくらでも見つけられる。でも、みんな死ぬための理由は持って
いない。
自分は何のために死んでいくのか。放浪のなかで、僕が考えていたことは、おそらく、「死ぬため
の理由」だった。もちろん、無意識だったけれど、冒険し続け、放浪し続け、限界までテストされる
ことは、たぶん僕の魂が本当に求めていたことだったのだ。極端な体験をしなければ、奇跡はわ
からないと思う。
だから、スコットランドに戻っても、大自然のなかで働くことを選択した。庭師とかダイバーとか肉体
労働だね。でも、また旅に出たくなる。スコットランドは暗い、つまらない、鬱陶しい、また旅し
なくちゃーって叫んだ。

鈴木大拙老師
その頃読んでいたのは、鈴木大拙の禅の本だった。今まで出会った哲学や宗教と違って、
ものすごくピュアなものを感じた。毎日、禅仏教の本を読みふけった。こんなシンプルな哲学が
あるんか、すごい閃きだった。
〝もう絶対、日本に行かなくちゃ駄目でしょ〟
アバディーンの植木屋で汗まみれで働き、自然の風に吹かれながら、19歳の僕は決意していた。
それから、36年。ヒッチハイクでインドにも3回旅したし、アフリカ縦断もした。南米にも何度も
行った。プロローグでも書いたけれど、バブルまでの15年間、日本に住み、ビジネスで成功もした。
そして、2006年7月11日の朝、僕は四国お遍路の旅に出ようとしていた。
日本に再び住み始めて6年目、54歳になっていた。3人の子供は独立し、妻も仕事をしている。
会社を立ち上げ、本を執筆し、呼ばれれば講演をする日々だった。物質的にはなんの問題もない。
けれど、僕には追究したい、いや追究しなくてはいけない謎があった。
それは、3歳のときの不思議な記憶。ごく庶民的なアパートメントの5階に住んでいた僕は、洗い
場がある中庭にひとりでよちよちと下りていった。ワックスで磨かれたリノリウムの床、階段を下りる
自分の足先。いまでも鮮明に覚えている。3歳の自分を、外から見ている自分がいるようだった。

異次元体験をした故郷の団地 (黄色ピンの前の庭に今でも白い洗濯物)
と、突然、目の前の世界が輝きだした。信じられないくらいの光があふれていた。
〝すごい綺麗だ!〟 そう思った瞬間、2000フィート上空に意識が飛んだ。遥か下に自分がいる
のが見えた。視点が3つに増え、多次元になっていた。3歳のときにこんなふうに言語化できた
わけじゃないけれど、それは物質的な風景ではなく、まさに天国にシフトした感覚だった。
「この光は、いったい何?」家族に聞いても、どんなに書物を調べても、わからなかった。これこそ、
僕の人生の原点にある謎だったのだ。
そしてもう一つ謎がある。僕の頭の中枢では、ある音が鳴り続けている。時折、強く高くなる不快
な音。電気的な音とでも表現するしかない不気味な音。耳鳴りとは違う。12歳から突然鳴り始
めたこの音は、医学的には解明も治療もできなかった。この厄介者とは40年以上付き合ってきた。
ホントよく気が狂わなかったね、と思う。
50歳を過ぎて、この音が少しずつ高くなってきている。どうなるか、受け入れるしかないけれど、
動かずにじっとしていると、ひどくなるのだ。何を意味しているのか、いつか消えるのか、まったくわ
からない。でも、少なくとも僕に与えられたギフトだと考えることにしている。だって、この音は僕に
とっての十字架かもしれないじゃない? だったら、受け入れるしかないよね。たぶん、誰しもがそ
ういう何かを背負っているんじゃないかと思うのだ。
僕は、自分に問いかけた。「何のためにお遍路するんや?」と。
答えはすぐに返ってきた。
「ハートを、魂をクリーニングするためでしょ。そのために歩く」
それしかないのだ。日本には、「洗心」という言葉がある。まさに心のクリーニングだ。歩くことは、
肉体的な鍛錬ではなく、きわめて精神的な問題なのだ。それも、日本最大の聖地をゆく巡礼だ。
巡礼と言っても、仏教とかキリスト教とか、特定の宗派は関係ない。
僕にとっての巡礼とは、「目的意識を明確に持って、祈りながら歩くこと」であり、「歩きながら祈ること」である。
ならば、なぜ日本の四国なのか? それは、まさしく歩きながらお話しましょう。次章からは、
僕の歩き遍路の旅を話しつつ、僕自身が体験してきた人生の神秘についても語っていこうと思う。
さあ、行きますよー。歩く祈りの始まりだ!
Posted by エハン at
10:32
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