2007年10月29日

4つの人生

4つの人生

要するに、ジジイになったら世を捨てて、褌ひとつでヒマラヤに行こうということやね。
周囲の聖者たちは、ほとんど第4のライフの人ばかりだった。第3のカルマ・ヨーガすら
終えてない18歳の僕が、そこに入り込んでしまったわけだ。同じような放浪者の格好をして…

聖者たちは、完全に思い込んだ。
――お金ばかりの国ヨーロッパからきたにも関わらず、裸足で放浪している。スピリチュアルな
探求をしている人に違いない、と。
 
で、食べ物を提供してくれたり、水をくれたり、大切に扱ってくれる。極端な人になると、僕の足を
頭で触ってくる。ちょうど、アマルナスのお祭で、全国からサドゥが集まってきていた。
僕は、元マドラス大学の英文学の教授と親しくなった。彼は英語ができたし、とてもおしゃべりだっ
たのだ。

なぜおしゃべりだったか。実は彼は86歳で26年目の巡礼をしている最中だった。このお祭が
終わると、彼は死ぬまで沈黙の修行に入らねばならなかった。西洋人で同じように物質世界を
捨てて来ている僕らヒッピーに話をすることは、彼にとっても刺激的だったと思う。サドゥたちは、
地元の人たちからは、「偉い人」と扱われるだけで、真のコミュニケーションをとることが難しかった
のだ。

話題はいくらでもあった。スピリチュアルライフとは何か。巡礼とは何か。聖地とはいかなる場所
なのか。夢中で話をし、時を忘れた。

でも、身体は正直だね。相当まいってきていた。がりがりに痩せた。このままここに留まるのも
楽しいけれど、下手すると死んじまうかもしれない。現に、赤痢や栄養失調で亡くなった友だち
もいた。密林のサドゥに会いに行って、野宿しているところを象に蹴られて半死半生で故郷に
送り返された仲間もいた。

国へ帰ろう。このままでは生命の危機に陥る。僕は思った。さすがにきつくなってきていた。
自分のカルチャーにいったん帰って、僕のライフをもう一度始めよう。時計を逆回しにしたように、
僕はロンドンを目指した。もちろん、ヒッチハイクで!

4つの人生

映画に出演した18歳のエハン


19歳の誕生日は、アフガニスタンのカンダハールで迎えた。再び、猛烈な赤痢にかかっていた。
地元の人たちは親切だった。金のない僕に同情してくれた。けれど、彼らは超極端だった。
彼らの治療方法は、アヘンだった。アヘンの塊を食って赤痢を治す。なんですか、これは。
あり得ないと思った。もう、アゴが外れそうだった。アヘン食うか?普通。

みんな口々に、一晩で治るから飲めという。しかたがないですね、飲みました一塊のアヘンを。
ものすごく油っぽくて気持ち悪い。ようやく飲み下すと、丸一日ぶっ倒れて、ものすごい夢をみな
がら吐く。吐いては夢を見て、夢を見ては吐く。その繰り返し。でも、一発で治った。

アフガニスタンの人にとって、アヘンはいわゆるドラッグじゃない。漢方薬みたいなものだ。
日本やイギリスでアヘンを使ったら、ドラッグということで、きわめて良くないと言われる。
逮捕されるでしょ。でも、僕はアヘンで赤痢を治した。ここが、ポイントですね。
学びがあったわけだ。薬って何? ドラッグって何ということ。あの塊に化学的な変化
加わって、注射すれば間違えなく「中毒」させるドラッグに変身する。

この後も、いろんなことがあったけれど、6週間後、ようやくロンドンまで帰り着いた。
僕の人生にとって非常に重要な学びだった。それは、独りで行動するということ。
そして何かを信じるということだ。

別に特別な宗教でなくても、何かに対して信仰心を持つということを学んだ。一文無しになっても、
病気になっても、にっちもさっちも行かなくなっても、誰か何かが助けてくれる。本当に神様が現
れるようにね。それの繰り返しのなかで、「ああ、宇宙はサポートしてくれてる」と実感していった。
別に特定の神様じゃないよ、この話は。

「絶対になんとかなる。何があっても生きていける」という自信は、旅のなかで生まれた。
すなわち、心配を吹き飛ばすということだ。

これは頭でわかっただけでは、絶対にできない。わかった気でいると、40代になって同じ問題に
必ずぶつかる。将来への不安とか心配とか……。だから鬱病になってしまう。動かされるような
探求の旅のなかで、僕は身をもって実感した。これこそ、旅からのギフトだ。

4つの人生

典型的なNagar Babaのサドゥたち

旅のなかで、哲学書や宗教書を読みながら、毎日毎日生きていく。あの頃、僕のバッグに入っ
ていたのは、本とパイプとパスポートだった。もちろん、食えない日が続くことも、寂しさや孤独感
に陥ることもある。でも、それを克服していくのが旅ということだ。それこそが「巡礼」だ。

これは、ほとんど信仰のトレーニングだ。「信じること」とはどういうことか。これは大学に行っても
宗教家になっても、たぶん学べないでしょ? それが毎日試されていくことが、旅なんだね。


僕みたいに生きるのは、ホント極端だ。自分でもクレージーな大冒険男だと思う。なんでこんな
人生か? それこそ人の心の神秘だ。極端なことをやらないと気がすまない、限界までいかない
と、本当の自分になれない。

僕は、人というのは限界に立って初めて、自分が何者であるかがわかると思う。厳しく試されて、
追い詰められて、その最後のところでわかってくること。それがホントの人生でしょうと思う。 
ここに、昔ローマで迫害されたキリスト教徒たちの話がある。一世紀ごろのことだ。

ある女性クリスチャンがローマ政府に捕らえられて、アリーナ(円形競技場)に連れてこられた。
ローマ人たちは、彼女が拷問されるのを見物しに来ているんだね。「もし、信仰を棄てたら助け
てやる」そういって拷問するわけだ。

4つの人生

鉄製の椅子に彼女を縛りつけて、下から火で炙っていく。もう普通なら、「もうやだー、クリスチャン
はやめるー」と叫ぶでしょ? でも彼女は信仰を棄てなかった。そして、こう言ったんだ。「棄教
るくらいなら死んだほうがいい」。


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Posted by エハン at 09:36 │Autobiography