2007年11月17日

注意不足の注意

注意不足の注意

その時だ。オフィスのベランダでふと閃いた。
「ん? そういえば、日本にも何か巡礼の道があったな……88ヶ所歩くとか……」
調べるとすぐにわかった。「おへんろ」というのか…どういう意味じゃ? 巡礼という日本語は
知っていたが、お遍路は知らなかったのだ。

「あれ、四国ならすぐ近くじゃないの。これ行けるやないか、よし行く。決めた!」
僕の頭の中には、お遍路する自分にカミーノを歩くイメージがダブって浮かんでいた。
距離や場所は関係ないのだ。目的地が違っても、歩くことと祈ることはどこでも同じ。
それに、僕はいまヨーロッパで生活していない。祖国スコットランドよりも長い時間、日本で
過ごしている。それだけ日本にはお世話になっているのだ。

キリスト教徒とか仏教徒とか関係ない。僕はそもそも旅人だった。歩きながら人生を振り返る
ことが最も大切なのだ。そう考えれば、四国お遍路は全世界の巡礼をするのと同じになる。
つまり、お遍路が重層的な意味を持ち、フラクタルになるということだね。

そうと決まったら、僕は早い。誕生日の7月9日に、「お遍路やるぞー」とブログで宣言した。
絶対にやらざるを得ない状況を作ったのだ。言挙げですね。こうしないと人間は言い訳しちゃう
からね。これから何か始める人も、秘密にしないほうがいいですね。宣言すること、誓うこと。
退路を断つということ。これが人の力をどれだけ引き出すかということだ。

お遍路は徳島から始まる。市内にバイクを駐車し、3泊4日歩いて戻ってくる予定だった。
毎月一回、同じようにバイクで目的地近くまで行ってはお遍路し、終えたところでバイクの場所
まで戻って帰るというやり方で、88ヶ所回ることに決めていた。歩き遍路の場合は、こうして4日間
くらいで区切りながら、回るのが一般的だ。

一番寺、霊山寺までは歩いていくつもりだった。詳しい場所は確認しなかった。日本のことだ
から、お遍路さんのために、「お遍路の方、こちら←」みたいなでかい標識があるだろうと思い込ん
でいた。だって、日本はそういうところ親切じゃない?

で、最初から道に迷った。標識なんか一切ないのだ。これは象徴的なことだった。インドもアフリカ
もたった一人で旅してきた僕が、徳島市内でなんでいきなり迷うか? これには参った。でも仕方
ない。地図を広げてみると、市内からずっと外れたところに霊山寺はあった。こうなったら歩きな
がら訊くしかない。〝一番寺はどこですか?〟 みんな親切に教えてくれるんだけど、道が超や
やこしい。結局、辿り着くまで1時間近くかかってしまった。要するに、自分のやり方が通用しな
かったんだね。旅のプロだと自認していて、油断したのだ。

この「迷うということ」は、最後まで一貫した試練になった。お遍路のコース自体、実に複雑で、注意
深く地図を見ないと迷子になる。進んでいるつもりが、戻っていることもある。自分がいま立ってい
る場所、方角、お遍路道を示す小さな赤い標識。気楽に思い込んで第一歩を踏み出すと、えらい
ことになってしまうのだ。

39番札所に向かって歩いていたときのこと。すっきりした快晴で、冷たい朝の風が気持ちよかっ
た。向こうからお遍路さんが歩いてくる。歩き遍路の方だ。すれちがって、しばらくするとまたお
遍路さんがこちらに向かってくる。〝ああ、この人たちは逆周りしているんだな〟。そう思い込ん
だが、実は逆回りしているのは自分だった。もう歩き始めてから1時間も経っていた。〝ああ、自分
はなんて馬鹿!〟。僕は天を仰いで、大慌てで戻る羽目になった。不注意は、エネルギーも時間
も浪費させるね、まったくの話。自分の周りに何が起きているか、それを注意深く観察するとき何が
起きて、観察できていないとき何が起きるのか。よく観察することは、人生の大きな課題だと思うん
だね。


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Posted by エハン at 07:23 │Autobiography