2006年08月25日
聖フランチェスコの意識

Saint Francis of Assisi:アッシジのフランチェスコ
数年前の夢:大きな焚き火に頭から自分を入れて行く・・
テストだった。「これが出来たらお前にご褒美がある・・」
暑くなかった。素晴らしい開放感を味わう夢だった。
小さいごろからカトリックの子供としてたびたび昔の聖者の物語
を聞かされました。特に動物を愛した聖者として有名だったのが
アッシジのフランチェスコでした。どう云う人物だったかについて
ちょっと引用します:
「アッシジのフランチェスコ(伊:Francesco d'Assisi、本名 ジョヴァンニ・
ディ・ベルナルドーネ Giovanni di Bernardone、1181年或は1182年 -
1226年10月3日)は、フランシスコ会の創設者として知られるカトリックの
修道僧、聖人。清貧を説き、中世イタリアにおける最も著名な聖人のひとりである。
フランチェスコは、西欧中世の盛時、12世紀後半、ピエトロ・ディ・ベルナルドーネ
(Pietro di Bernardone)を父に、イタリアはローマの北に位置するウンブリア地方
アッシジの町に生まれた。フランチェスコとは「フランス風」の意味である。
織物商人であった父親が仕事上フランス語が非常に堪能だった(あるいはフランス
びいきだった)ことから、母親のピカがすでにつけていた洗礼名(ジョヴァンニ)に満足せず、
彼につけたという。
裕福な家庭に生まれたため放蕩生活を送っていたが、騎士になろうと思い立ち、戦争の
続く南フランスへ行き軍隊に入る。しかし、捕虜になったり、病気にかかり苦労を重ねる。
23歳のとき信仰に目覚め、隠修士となり、アッシジ近郊にあり当時荒れ果てていた聖
ダミアノ聖堂の修復を行うなどした。ある日のこと「私の家が壊れているのが見えないか。
建て直せ」という主の声を聞く。宗教的回心を経て、すべてを捨て、主の家の再建を目指した。
1208年に3つの戒律を定め、活動を始めた。戒律は全ての財産を放棄した厳しい清貧と、
福音を説くことを求めるものであった。弟子たちとともに各地を放浪し、説教を続けた。」
後日Brother Sun Sister Moonと云う映画で彼のことが一般の市民に認識されるように
なってちょうど僕が世界を放浪しようと思った時代に見た。「なるほどシンプル・ライフは強い
ね」と思った。何も所有しなかったのに未だに世界的に凄い影響力を持つ「意識」が継続するのだ・・
火に頭から入る夢にもどりますがフランチェスコに次のエピソードがあった:

1219年にイスラム教徒に説教しに行ったフランチェスコは「火のテスト」でどちらの信仰が強いか
を王様に提案した。自らを先に火に入ろうとしたが王様に止められて、イスラム教徒に対して
説教してもいいよと、許可をもらった。凄い意識ですね!大げさだと思われるかも知れませんが
やはり信仰のパワーを軽視することが出来ないですね。
彼のアッシジに行きました。感動しますね。体をぼろぼろにしたフランチェスコは地上で
たったの40年でしたがその意識は今でも世界を救うおとしています。
アッシジのフランチェスコの祈り
平和の祈り
「主よ 私を平和の道具にしてください
憎しみのあるところに愛を罪のあるところに赦しを
争いのあるところに一致を誤りのあるところに真理を
疑いのあるところに信仰を
絶望のあるところに希望を 闇のあるところに光を
悲しみのあるところには喜びを。
あぁ 主よ、
私に求めさせてください。
慰められるよりも慰めることを理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを。」
なるほどと思った:人は自分を捨ててこそそれをうけ、
自分を忘れてこそ、自分を見出だし、赦してこそ、赦され
死んでこそ、永遠の命に復活するからです。
それは「昔の人間」の素晴らしい根性ではないかなあ・・
そう云う人間になりたいね・・と思いませんか?