2007年09月08日

あるインタビューからの「自叙伝」

出版社の彼は本にしたいと言って、凄く頑張ってくれたが「本に成らん!」
と上司に言われた・・

それまでに僕の長いインタビューに基づいて、その話を自伝として書いてくれた。
もったいないと思うので時々紹介します:Mさんに感謝!



プロローグ

僕はいま神戸の市街地から車で北に30分の兵庫県三田市に住んでいる。
有名な有馬温泉にもほど近いこの地には温泉も湧き、高原の風が緑のなかを渡って
くる気持ちのいい場所だ。

三田温泉の露天風呂につかりながら、あらためて人生の不思議を思わざるを得ない。
55年前、スコットランドの寒く暗い海辺の町で生まれた僕が、なんで日本の温泉に
入っているのだろう? いったい僕は何を求め、何を捜し続けて、
日本という国を発見したのだろう。

日本に住むのは、これで2度目になる。
1974年、22歳のとき初めて日本に来た。それから15年間、京都や神戸で暮らした。
大阪の女性と結婚もし、子供も生まれた。ちょうど高度成長期からバブルにかけて日本経済は
上り調子だったし、仕事がぐんぐん増えた。当時は日本語ができるガイジンは珍しかったから、
朝7時から夜11時まで働いていた。ホントおかしなくらい忙しかった。週七日間休みなし、
朝7時に家を出て、夜11時に帰ってくる。神戸女学院や関西大学で英語の講師を務め、
全日空のパイロット相手に英語を教え、東洋医学を勉強し、鍼灸クリニックを開き、
弓道の稽古を重ね、座禅を組んだ。

はためにはきわめて順調に見えたでしょう、たぶんね。だけどビジネスが成功するにつれて
、僕は「何か違う、これがホントじゃないでしょ」と感じ始めていた。

忙しいだけで真の意味で面白くなかった。日本人の友だちもできなかった。
日本人のサラリーマンは残業ばかりで、一緒に居酒屋に行っても仕事の話と
上司の悪口ばっかり。これはつまらないでしょ、なんで日本人こんな話ばっかりするんや
と思った。同世代の若者は東洋医学のことなんか全然知らない。
「陰陽五行?何それ?」って感じだった。

でも、僕も子供3人育てるのに働かなくちゃいけない。金は必要だった。
僕は縛られていた。ガイジンを物珍しそうに見る日本人の視線にも嫌気がさしていた。

「そんなにガイジンが珍しいか、何か用があるんか、じろじろ見るんじゃねえ」。
電車の中で日本語で怒鳴ったこともある。夜、帰宅すると、飲まずにいられなかった。
ものすごく飲んだね。「こんな金、金、金ばっかりの生活。あほらしー」晩酌しながら吼えていた。
日本のサラリーマンの疑似体験だった。だから僕には、日本の男たちのことがよくわかる。
こんな状態でみんなよく生きてると思う。余裕がないということだ。

そのうち本当に、この国で働いてることが馬鹿馬鹿しくなってきた。
常識とかルールとかにがんじがらめになっている気がした。
ある日、愛犬を山で散歩させていたときのこと。リードをつけずに遊ばせていたら、
しかめ面のオジサンがやってきて、「放し飼いは法律で禁じられている」と言い出した。

は? 何それ、あほらし。ここは山の中でしょ? で、僕はわかった。これが日本という国だ。
なんでもルールばっかり。そして即決した。「もうやってられない、こんなところにいたらだめじゃ」
と宣言した。1989年、バブルの真っ只中で、僕はすべてのビジネスをクローズして、妻と3人の
子供を連れて日本を出ることにした。行く先はカナダ。そこでずっと暮らすつもりで。

二度と日本になんか戻らないと決意して……to be continued...  


Posted by エハン at 10:28Autobiography