2007年09月20日

自伝のプロローグ:Part 3



2001年、僕は再び日本に戻ってきた。そして発見した。この国には人間に対する「基本的信頼」
というものがまだ残っている。もっとも最近はずいぶん低くなっちゃったけど、西欧にもイスラム
圏にも、それは比較的に皆無だ。

おいおい語っていくけれど、日本は宇宙一素晴らしい国だと思う。ホントのことですよ、これは。
大げさな比喩じゃない。だけど日本人が、自分の国のすごい部分を分かっていないんだ。
僕はそれを残念だと思う。

そして7月、四国のお遍路八十八ヵ所をやり遂げて気づいた。「お遍路は人生や。
すべての人々は巡礼しとる」ってね。
巡礼と言っても、別に宗教じゃない。仏教徒とかキリスト教徒とか別に関係ない。
目的を持って内なる旅すること、常に動くこと、「聖地」で歩きながら考える、祈ること、
それが巡礼の意味だと思う。

通勤するのも巡礼になるし、スーパーに行くのも巡礼になる。「巡礼は宗教」というのは思い込
みだ。旅をし続け、世界を放浪してきた僕は、お遍路をやって「巡礼」という言葉の真実の意味
に出会った。歩いていると、想像もできないことが起きる。毎日未定の旅のなかで、祈るという
ことが湧いてくる。

同時に、常識やルールに囚われている世界への怒りも噴き出る。そして、本当の自由、独立した
個人とは何かに気づかされ、魂が清らかになっていく。古代から現代まで、人間は巡礼し続け
てきた。なぜか。魂を浄化するためでしょ? 僕もあなたも、この星に住むすべての人々が巡礼
者になる時が来ていると思う。

伝えたい一番重要なことは、「パッション=情熱」ということ。誰をも恐れず、何が起きても怖がら
ず人生を意味あるものとして生きるために必要なのは、独立個人としてのパッションですよ。
そのためなら、何でもやる、いかなる冒険も引き受けるのが僕のやり方だ。



カナダから日本に単身赴任していた1995年の5月。その頃僕は超貧乏な生活を送っていた。
ホントにアンパンとオロナミンCだけの生活。まことに辛かったね。妻の実家のサポートを受けて、
講演活動だけで生活していたのだ。まともに食えるわけがなかった。

そんなある日、阪急電車に乗っていたときのことだ。頭上で何か二人の声がしてきた。
〝もう準備は整ってるみたいだ〟
〝そうだね、神経系も大丈夫だろう〟

 なんじゃこりゃ? 僕はあたりを見回した。乗客は別に変わった様子はない。
阪急電車もいつもどおり混んでいた。

そのときだ。〝エハンデラヴィ、エハンデラヴィ……〟って呪文のような呟きが聞こえてきた。
この奇妙な声は、かれこれ1年半も前から聞こえていたけれど、さっぱり意味がわからなかった。
僕はさすがに、おかしくなったと思った。自分にしか聞こえない声。でもその瞬間、100パーセント
閃いた。これって、もしかすると名前じゃないか? 新しい人生のための。

直後、僕は予定変更を選択した。行く先は決まりでしょ、こうなったら。
「改名したいんですけど」イギリス大使館に直行して、改名の手続きを始めた。
親が付けてくれた名前のジョン・クレイドは処分。今日から僕の名前は、エハン・デラヴィ。
そういうことになったからと、妻にも子供にも、宣言した。相談なんかしなかった。だって、
これは許しを得て行うべきことですか?ホントの意味で。妻に言ったら、アゴ外れるほど驚愕し
て怒ったね、「勝手に決めるな!、だったら私も実家の姓に戻させてもらう」って。
結局、二人とも名前が変わった。

エハンとソニア・・
  


Posted by エハン at 11:44Autobiography