2006年07月14日

イスラム神秘主義世界の巡礼の物語

フォトン・ベルトの真相』のエピローグより

ファラド-ウディン-アタールという、スーフィー教の指導者で詩人が著した『鳥の会議』(Conference of the Birds)という寓話がある。

 スーフィーとは、イスラム教の主流派が「表」であれば、いわば「裏」の宗教、密教である。コーラン原典主義からみれば、異端中の異端といえる。
 スーフィーの教えは、寓話や物語を通して、哲学的・宗教的な教えを伝道するというシステムを用いており、アタールも『鳥の会議』の中で、人間の意識の旅について説明しようとしたのだろう。
 私がこの話を読んだのは二十年以上も前になる。

 あるところにフーボーという鳥がいました。ある日フーボーは、全世界の鳥たちに向かって、これから会議を行うので集まるようにと呼びかけました。全世界の鳥たちは一ヵ所に集まって、フーボーの話を熱心に聞きました。フーボーは次のように呼びかけました。 「私たち鳥には、サイムルグという名前の神様がいる。サイムルグは幻の国の宮殿の中で生活している。これからサイムルグに会いに行こう」

 しかし、遠く離れているサイムルグの宮殿に行くには、長く、危険な厳しい旅になることは目に見えており、命の危険も覚悟せねばなりません。そこでフーボーは、「サイムルグに一回でも会えば、私たちは覚醒し、本当の生きる目的を見つけ、幸福になれる」と語りかけました。

 鳥たちは顔を見合わせ、相談しあいました。神様には会いたいけれど、危険な旅であり、躊躇しているのです。するとフーボーは、「行きたくないのなら、行かなくていい。しかし行きたくない理由をみんなの前で言いなさい」と言いました。

 鳥の中でももっとも美しい声を出し、人間を喜ばすことで有名なナイチン・ゲール(ウグイス)は、「私は本当に行きたいのです。だけど、長い旅の中で声が枯れれば人間を喜ばすことがで きません。私の使命を果たせないんです」と言いました。それに対してフーボーは、「ああそうか。それならやめて結構だ」と答えました。

 他の鳥たちも、次々と前に出てきて、行きたくない、いや行けないと、理由を説明しはじめました。結局、集まった鳥たちの中で、行くことを決意したのは数百羽にすぎませんでした。それから七年にわたる、彼らのつらく苦しい旅が始まりました。そのうちの三分の一の鳥たちは、その途中の危険な冒険の中で脱落していきました。

 サイムルグの宮殿にたどり着いたときには、もう三十七羽しか残っていませんでした。到着した鳥たちも疲れ果て、羽根は落ち、貧弱になって、ボロボロでした。限界の中でようやくたどり着いた鳥たちは、宮殿の責任者に案内されて、サイムルグの部屋に通されました。

 その部屋には大きなカーテンがあり、その向こうでサイムルグが待っていると言われました。三十七羽の鳥たちは気を取り直して、期待に胸をふくらませました。長いあいだ待たされました。どのくらいたったのでしょう。ようやく「今からサイムルグとの対面ができますよ」と言われました。
 
 カーテンの幕がゆっくりと上がっていきます。しかしそこには、誰もいませんでした。「どうなっているんだ!」「七年間ボロボロになるまで飛び続けて、危険な目にあって、いろんな体験をして、やっとのことでここまで来たのに、誰もいないじゃないか!」鳥たちは騒然となりました。皆はフーボーに向かって言いました。「サイムルグはいったいどこにいらっしゃるんですか?!」

 それに対してフーボーは、静かな口調で「じつは君たちに言わなければならないことがあるんだ」と言いました。みな、フーボーの次の言葉を待っています。フーボーは言いました。「サイムルグとは、じつは三十七羽の鳥のことなんだよ」それを聞いた鳥たちは、自分たちの数を数えました。そのとたんに、彼らは悟りを開きました。「ああ、俺たちがサイムルグなんだ」と気づいたのです。

 本書をここまで読み進めてこられた読者なら、この寓話の言わんとすることは、すでにおわかりだろう。つまり「外にいる神」を探し求めるのは間違ったことであり、神は自分の心の中にこそ存在しているということである。また、鳥たちが長く危険なたびに出ることに躊躇したのは、そのまま、私たちはスピリチュアルな進化をすることに興味を持っているにもかかわらず、実際に取り組む人は非常に少ないということを意味しているのである。

  


Posted by エハン at 08:52お遍路の日記