2007年10月04日

第1章:クレージーな大冒険野郎の誕生(続き)



『ポンヌフの恋人』という映画でも有名な橋の下で、僕はパリ最初の夜を迎えていた。
憧れのポンヌフ。でも小便くさかったね。そのうえ寒い。当然金もない。ここで寝るしか
ないのか。そう思った。

寝る場所というのは、いつもどんなときでも大事な問題だ。どこで寝るのか。
人間が寝るというのはどういう意味なのか。深い問いがここにあるのだけれど、
今夜はどうなる?

すると、若いフランス人男性に声を掛けられた。フランス語で挨拶を返すと、彼は言った。
「よかったら、俺の友だちのアパートで寝てもいいよ」
外国人との初めての交流、初めての友情。この夜、僕は小便くさくも寒くもない部屋で、
シーツにくるまって考えていた。もしお金を持っていたら、こんな幸せと人間関係は生まれ
なかった。無一文だったから、いまここにいる幸せが可能になったんだと。



Les Amants du Pont-Neuf (映画)

僕のような旅をしていると、寝る場所は思いがけない形で現れてくる。17歳でギリシャのミコノス
島に行ったときもそうだった。売血して作った金も底をついて丘を彷徨っていた僕の前に、
ちょうど一人分くらいの穴が開いた巨石が現れたのだ。僕のために誰かが置いてくれたようだった。
それから3週間、僕はそこで寝てレストランで働き、ギリシャ哲学と芸術にハマった。



Mykonos Island

パリもギリシャもきわめて刺激的で楽しい旅だったけれど、どこか物足りなかった。
僕はもっと本当のスピリチュアリティ,すなち霊性と神秘性を体験したかったし、
求め始めていた。1971年、ヒッピー全盛の時代。フリーダム&ピースの時代だった。
僕みたいなヤツは他にもたくさんいた。

高校は卒業したけれど、大学なんてあほらしいと思っていた。ロクなこと教えてくれない
とわかっていた。みんないい学校に行って、就職して、結婚して子供つくって、保険かけて
生きていく。何のために? 何なの、その社会の在り方は。バカバカしいでしょ。そんなの
人生と言えるか、何のロマンスもない、クリエイティブでもない、冒険もない。こんなのアホ。

完全にごめんだと反発した。自分の人生は自分で創る。自分の発想で生きていく。
そう決心していた。要するに、僕は本格的なヒッピーになったというわけやね。

親は何も言わなかった。まあ、何を言われても僕は親の許可を得ようとは思っていなかった。
だって自分の人生でしょ。だから自分で決めて自分で行く。親の反対とか関係ない。
これは、やっぱりスコットランド人の性格というものだ。お金も親に要求しなかった。
親は心配しただろうけれど、日本と違ってスコットランドの親は子離れが早い。逆に早く出て
行ってくれたほうが助かると思っていたかもしれない。

生まれ故郷のアバディーンは暗くて寒くて、いつも霧がかかっていた。スコットランドはだいたい
似たようなものだ。太陽を仰げる日など、きわめて少ない。
そんなところにいたら鬱になるよ誰だって。だから、スコットランド人は外国に出て行きたがる。
探険家が多いのもそのせいだと思う。自分の生まれた場所ではない、もっと違うところに行きたい。
逃げ出したい。それがスコットランドの冒険魂。非常にタフなんだ。



Aberdeenの図書館

僕も子供の頃から地図を見るのが好きだった。図書館で世界の地図ひろげて、マラケシュとか
カブールとか未知の地名に見入っていた。地理の授業なんかうれしかったね。もう目を皿のよう
にして全身で聞いてた。

知らない町の名前を覚えるのも早かった。国々の地形や国境なんかををデッサンするのも得
意だった。要するに、旅してみてえ~って心の底から思ってたわけだ。大英帝国のスピリットの
なかに、スコットランド人の「探検家DNA」は間違いなく組み込まれていると思う。

父親は魚の卸稼業をしていた。朝5時に港に出て、凍てついた北海の強風にさらされながら、
魚市場で働いていた。ボートから降ろしたばかりの冷たい魚を店に運び入れ、スモークしたり、
加工したりする仕事だった。

仕事が終わると、次はパブだ。スコットランド人のお決まりの習慣だ。これがないと、やってられ
ないってこと。完全に酔っ払って帰ってくる。で、また翌朝厳しい仕事に行く。毎日その繰り返し
だった。母ちゃんはウェイトレス。忙しそうだった。まったく、きわめて典型的な労働者階級の家
庭だった。

To be continued.....  


Posted by エハン at 10:35Autobiography