2006年10月11日
マイスター・エックハルトのハート

キリストの伝道者の訳がわかる一人マイスター・エックハルト
僕は輪廻転生に対しては、大きな疑問を持っています。だから、前生はこうだとか、
そうだとかいう話に対しては、ほとんどの場合はナンセンスだと思います。
まったくの思い込みが多いと思います。
チャンスは1回しかない試練の方が美しと思います。
つまり、この3次元をうまく生きるための機会は1回しかないという風に思います
と、思う存分にこの次元と多次元を理解しないといけない「必死さ」が出るでしょう。
だらだらと何回も生まれ変わって、学んで、失敗して、それは冒険だと思いません。
それは地獄と言うのです!冒険は大きなリスクを負って、最大の努力をして、
そして後悔をしない事で、その方が、人間らしいと思います。
だから、僕は前生の話に対しては、どうかな?と感じます・・
前生があるとかないとか言ってません。僕にとってはためにならない話だって言ってるのです。
しかし、もし僕には、今から前生の信念ができるようになったとすれば、ヨーロッパの中世時代
にいただろうと思います。
13世紀から14世紀は、ヨーロッパでは本当に面白い時代だった。ボクの大好きな人間は、
あの時代に大勢いました。その一人は、マイスター・エックハルトですね。
あの時代の人間は、とっても真剣に、神様について、毎日毎日心の中に感じただろう。
彼らの現実は、常に、神様との関係が中心でした。もちろん私は信者の話をしてますよ。
神に従うというコンセプトは、たいへんおもしろいです。マイスター・エックハルトの中心発想です。
今の言葉にかえますと「共時性」に従うことを意味してるのではないでしょうか。
自分の意志を捨てることです。それが神に近づくための最も早い方法です。
今の精神世界は、欲しい事ばっかりです。こうなりたい、ああなりたい、もっと進化したいなどです。
すばらしい自我意識ですね。しょうがない。人間だもの・・・
東洋人はこのマイスター・エックハルトの発想を受け入れる可能性が高いと思います。
今の西洋人には大変難しいでしょう。「意志を捨てるって!お前はアホとちがうか??」
の世界です。だから中世の信者たちは、誠に謙虚だったと思います。