2006年09月14日

カビール:無国籍無宗教の聖者



インドでよく知られているカビール

僕の好きな詩人、聖者の一人はこのカビールですね。なぜならば一番ランクの
低い人間として一番宗教のナンセンスが分かった、見る目のある本物の神秘主義者
だったからです。神秘主義者はなにをする人って?100%神を愛する、だから人を愛する
人だと僕は思う。彼のとてもシンプルな詩を紹介しましょう(僕の下手な訳を許してね!):

I have been thinking
ずっと考えて来た
I have been thinking ...
ずっと考えて来た
I have been thinking of the difference between water
and the waves on it.
海とその海の上にある波との違い、ずっと考えて来た
Rising, water's still water,
盛り上がって行く海にしてもまだ海で、
falling back, it is water,
元に落ちて行っても同じ海だ
will you give me a hint
how to tell them apart?
どう区別したらいいのかを是非、教えてよ!
Because someone has made up the word
"wave," do I have to distinguish it
from water?
誰かが「波」と云う言葉を発明したからと云って、
それが「海」と違う、気にするものか?
There is a Secret One inside us;
我々の中に秘密の(彼の)存在がある
the planets in all the galaxies
pass through his hands like beads.
彼の頭にビーズのように銀河の星星が通過する
That is a string of beads one should look at with luminous eyes.
それらのビーズを発光している目でみるべきだ!

宗教を捨てて、宗派を嫌って、特別な修行を否定して、ただただ神を
思う存分に愛することだけを意識する生き方はカビールの天才です。
彼についての引用は以下:

「カビール(1398-1448?)は、中世のインドの聖者の中では、最も有名な一人だが、
日本には残念ながら著述ないし詩文の翻訳されたことはない。『中世インドの神秘思想
ヒンドゥー・ムスリム交流史』(ムハンマド・ヘーダエートゥッラ著・宮元啓一訳)
(刀水書房)という本で扱われていたくらい。

アジア初のノーベル文学賞受賞者タゴールには、カビールの詩を独自に集めて英訳した
"SONGS OF KABIR"という名著があり、簡単な言葉で美しい詩文に訳されている。
タゴールの手にかかれば、英語の詩がかくも美しくなるのかという魔法のような手腕で、
カリール・ジブラン以外には、比類のない名文になっていた。ただ、カビールは、インドの
民衆語であるヒンディー語で歌った。本人は文盲で、機織りで、彼の詩は、
弟子たちが記録して集めたもの。タゴールによる「カビール歌集」は、ヒンディー語ではなく、
タゴールの母国語であるベンガル語から収集されたものなので、文献的には第一次的信用性
は欠いている。

ヒンディー語の文献が伝わるのは、大体中世以降なのだが、20世紀以前でヒンディー語から
英訳された量が最も多い著作家は、カビールとトゥルシダースの二人である。
それに次ぐ第三位は、女性神秘家のミーラバイ。カビールは、ヒンドゥー教とイスラム教の架け
橋になる思想家なだけあって、今日でも彼の名は、インドの三宗教(ヒンドゥー教・イスラム教・
シーク教)のすべてで尊敬されているという珍しい聖者である。中でも、シーク教では、
教祖のナナクが、カビールに傾倒していただけあって、経典「グル・グランタ・サヒブ」には、
十代導師以外に最もたくさん聖歌が収録されているのが、カビールである。

カビールの詩の中で、由来が古く最も正統的とされるのが、シーク教典収録のものを除けば、
この「ビジャク(種子の意)」である。この英訳詩は、訳文として健闘はしているものの、
タゴールの名訳には遠く及ばず、タゴールを読むときに感じられる高揚感・陶酔感は、
あまり達成されていない。

その後、鈴木大拙が、少しだけカビールに触れて訳していた箇所があったのを思いだし、
書棚に入って、岩波書店の鈴木大拙全集(全32巻)をひっくり返す。第16巻464頁以下、
「禅の立場から」の中の第二篇「如是説」の三節「カビールの禅」。鈴木がカビールを訳すと、
何やら仏典としか思えなくなりますね。以下、鈴木のカビール訳をちょっと引用。

形なきものの形を、此眼の前に現出せしめ得るもの、彼は真正の聖者である。
儀法や形式を離れたる単一の方法によりて、彼を体得せよと誨[おし]えるもの、
密室の中に隠れたり、息の出入を止めたり、此世を捨てたりなどすることを汝に教へざるもの、
意[こころ]を著ける処に至上の霊を認むるやうに汝を導くもの、すべての活動の真中に在りて
寂静なれと汝に教へるもの、此の如きは真正の聖者である。
(タゴール訳『カビールの詩』第56篇より)

私が同じ詩を訳してみましょう。

形なきものの形を見通す眼をもつもの──彼が真の聖者である
儀式や礼拝でなく神に到る道を説くもの
扉を閉ざさせず、息を止めさせず、世を棄てさせないもの
心が執するところに聖霊を認めさせるもの
活発な活動の中に静寂を教えるもの──彼が真の聖者である」

以上は:「http://homepage2.nifty.com/kkomori/doku0101.htm」からです。  


Posted by エハン at 10:51神秘主義者の知恵